トマス・アクィナスの名言・格言・警句60+選

- 1225年頃~1274年3月7日
- シチリア王国(イタリア)出身
- 神学者、哲学者
- スコラ学の代表的存在であり、代表作『神学大全』を通じて、カトリック教会の教義と理性の関係を体系化した
トマス・アクィナスの思想には、理性と信仰の調和を通じて真理を探求する姿勢が見られる。彼は、人間の幸福は徳と倫理に基づく正しい行いによって達成されると考え、自己の欲望を制御し、他者への愛を重視することが重要であると説いた。また、アクィナスは、信仰が理性を補完するものであり、理性によって神の存在や善悪を理解することが可能であると信じていた。彼は、知識と信仰の両方が人間の精神的成長に不可欠であり、社会全体の善に向かうべきだと主張している。
さらに、アクィナスは正義や友愛を大切にし、法や倫理が人々の幸福と秩序をもたらすために必要不可欠であると考えた。彼は、神の存在や善悪の判断が個人の主観や相対的な価値観を超えた普遍的な真理であるとし、神の教えが道徳的指針として機能すると信じた。アクィナスの教えは、理性と信仰の両方を通じて人間が道徳的な完成を目指し、社会の調和を築くための基盤を提供するものであった。
- 「人の救いには三つのことが必要である。それは、信じるべきことを知ること、望むべきことを知ること、そして為すべきことを知ることである」
- 「心を休めるためには、時折、遊び心や冗談を用いることが必要である」
- 「人の救いには、理性を超えた真実を神が示すことが必要である」
- 「法とは、共同体の管理を任された者が、公共の利益のために理性に基づいて制定した秩序である」
- 「人は理性的である限りにおいて自由意志を持つ」
- 「誰かを導くには、その人の手を取り、共に歩むことが必要である」
- 「よく生きることは、よく働き、良い行動を示すことである」
- 「偽造者や犯罪者が世俗の権力によって死刑に処されるならば、異端の罪で有罪とされた者を破門し、場合によっては死刑にする理由はさらに多い」
- 「神の知識は万物の原因である。神の知識は、職人が自身の作品を知るように、全ての被造物に対して存在する」
- 「節制とは、情熱を抑える心の性質である」
- 「愛は憎しみに先立つものであり、愛するに値するものに反するものだけが憎まれる。ゆえに、すべての憎しみは愛から生じる」
- 「心が引き出す区別は、必ずしも現実の区別と等しいわけではない」
- 「一冊の本しか読まない人を警戒せよ」
- 「神の存在は証明可能であるが、それは先験的にではなく、神が私たちに示された何らかの事物を通じて後天的にである」
- 「人間の多様な状況により、ある行為が適切で徳とされる人もいれば、同じ行為が不適切で不道徳とされる人もいる」
- 「生命の最高の表現は、自らの行動を自ら支配することにある。常に他者の指示に従っているものは、ある意味で死んでいるものと言える」
- 「この地上で真の友情ほど尊いものはない」
- 「正義とは、直面する状況の中で人が成すべきことを行う心の正しさである」
- 「人間のあらゆる努力をもってしても、一匹のハエの本質を尽くすことはできない」
- 「祈りにおいて、自らを神に向けて高めず、神が自分に合わせるよう求める者、そして神の意志に従おうとするのではなく、神を自分の意志に従わせようとする者は、祈っているとは言えない」
- 「良心の判断は、それが正しいか誤っているか、またそれが悪そのものであるか道徳的に中立であるかに関わらず、義務的である。ゆえに、自らの良心に反して行動する者は常に罪を犯す」
- 「勇気の本質は、危険に立ち向かうよりも、それに耐え忍ぶことにある」
- 「私たちの信仰は古代の信仰と同一であると固く信じよ。これを否定すれば、教会の一体性を崩すことになる」
- 「友情は最大の喜びの源であり、友がいなければ最も楽しい活動でさえも退屈になる」
- 「どうか、時には自分を労わりなさい。賢者は時に、仕事に対する強い集中を緩めることが必要である」
- 「ただ輝くよりも光を与えよ。自ら考えた真理を他者に伝える方が、ただ思索するだけよりも良い」
- 「私たちは一度に完全な知識を得ることはできない。まず信じることから始めなければならず、その後、自分自身で証拠を理解する段階へと導かれる」
- 「人間の理性は、世界における神のようなものである」
- 「信仰の真理は、科学的知識を持たないカトリック信者が、科学的検証で誤りとされるものを教義として提示する場合、異教徒の嘲笑の的となる」
- 「もしあなたが進むべき道を探しているのなら、キリストを選びなさい。なぜなら、キリストこそが道だからである」
- 「神を個体的な実体と呼ぶべきではない。なぜなら、個別化の原理は物質だからである」
- 「心の休息とは、気軽な言葉や行動によって成り立つものである。ゆえに、賢明で徳のある人は時折そのようなことに頼るべきである」
- 「知識が及ばぬところから、愛が始まる」
- 「哲学は驚嘆から生じるゆえに、哲学者は神話や詩的な物語を愛する者であるべきである。詩人と哲学者は、共に驚きに満ちた存在である」
- 「誰によって語られたものであっても、真実であるものはすべて、聖霊にその起源を持つ」
- 「受け取られるものは、受け取る者の性質に応じて受け取られる」
- 「私たちが調和して生きるにはどうすれば良いか?まず私たちが皆、同じ神に深く恋していることを知る必要がある」
- 「善は悪なしに存在できるが、悪は善なしには存在できない」
- 「自分自身に対する不正を忍耐をもって耐えることは、完全さの証である。しかし、他人に対する不正を忍耐して見過ごすことは、不完全さの証であり、場合によっては罪でさえある」
- 「秩序だった自己愛は正しく、自然なものである」
- 「信仰を持つ者には説明は不要であり、信仰を持たない者には説明は不可能である」
- 「私たちは神が何であるかを知ることはできず、ただ神が何でないかを知ることができるだけである。ゆえに、神がどのような存在であるかではなく、神がどのような存在でないかを考えざるを得ない」
- 「驚きは知識への欲求である」
- 「法とは、共同体を守る者が、公共の利益のために理性に基づいて制定した規範である」
- 「人は自らの物質的な所有物を自分だけのものと考えるべきではなく、必要としている他者がいるときにはためらわず分かち合うべき共通のものと考えるべきである」
- 「道徳学は正義についてよりも友情について論じるとき、より有意義に役立つ」
- 「神学者は罪を主に神に対する冒涜と捉え、倫理学者は理性に反するものとして捉える」
- 「愛とは、他者が私と結ばれ、私によって大切にされる力である」
- 「戦争が正当であるためには、三つの要素が必要である。第一に、主権者の権限。第二に、正当な理由。第三に、正しい意図である」
- 「芸術家の真価は、制作に向かう意志ではなく、彼が生み出す作品の優れた出来にある」
- 「人は本来、自由において平等であるが、その他の才能においては平等ではない」
- 「聖人たちが至福と神の恩寵をより豊かに享受するために、彼らは地獄での罪人の罰を見ることを許されている」
- 「困難であることが必ずしもより価値あるものとは限らない」
- 「個々の本質に関して言えば、女性は不完全であり、誤って生じたものである。男性の精の活動力は、完全な男性としての像を生み出すことを目指すが、女性の生成はその活動力の欠陥から生じる」
- 「道徳的徳の完成は、情熱を完全に取り除くのではなく、それを制御するものである」
- 「私たちが愛するものは、私たちが何者であるかを教えてくれる」
- 「なぜ、数十億の星々はあれほど調和して存在できるのに、大半の人間は知っている誰かについて心の中で戦争を宣言せずに1分も過ごせないのだろう」
- 「ノアの箱舟の外で救われることができなかったように、人が救いを見出すことができるのは唯一の教会である」
- 「多くの人は理性よりも感覚に従って生きているように見える」
- 「幸福は徳を通じて確保される。それは人の意志によって達成される善である」
- 「信仰は目に見えないものに関わり、希望は手に届かないものに関わる」
- 「悲しみは良い睡眠と入浴、そして一杯のワインによって和らげることができる」
- 「悔悛には三つの条件が必要である。まず罪を悔い改め、改善を目指す心からの後悔、次に罪を一切隠さずに告白すること、そして善行を通じた償いである」
- 「自己において必要であり、その必要性の原因が外部に存在せず、他のものに必要性をもたらす存在を置くことが必要である。そして、この存在をすべての人が神と呼ぶ」
- 「教会を無謬の指導者として受け入れる人は、教会が教えることをすべて信じるだろう」
- 「もし船長の最高の目的が船を守ることであるならば、彼は船を永遠に港に留めるだろう」
- 「人は喜びなしには生きられない。ゆえに、真の精神的な喜びを失うとき、肉体的な快楽に依存するようになる」