フランシス・ベーコンの名言・格言・警句130+選
- 1561年1月22日~1626年4月9日
- イングランド出身
- 哲学者、神学者、法学者、政治家、貴族
- 近代科学の基礎を築く「帰納法」を提唱し、またイギリス経験主義の祖として後世に影響を与えた
フランシス・ベーコンの思想は、知識と経験を重視し、それによって人間の進歩を促すことを目指している。彼は、表面的な知識にとどまらず、深い哲学的探求が人間を神や自然の理解へと導くと考え、知識の追求が人間の成長と倫理の基盤を形成すると信じた。ベーコンは、真実は時間をかけて明らかになるとし、思慮深く観察と経験を通じて知識を深めることが大切だと主張している。また、知識そのものが権力であり、正しい行いと結びつけることで人間性が豊かになると説いた。
さらに、ベーコンは、感情や復讐に支配されることの危険性を指摘し、冷静さと忍耐が真の知恵に欠かせないと考えていた。彼は、自然の法則に従い、謙虚に知識を追い求めることで、人生における幸福と充実が得られると信じていた。ベーコンの思想は、知識と倫理が調和した生き方を通して人間性を高め、社会に有益な変革をもたらすことを目指している。
- 「古代の遺物とは、歴史が傷つけられたものであり、あるいは時の難破を偶然逃れた歴史の残骸である」
- 「まず心の善なるものを求めよ。そうすれば、その他のものは自然に与えられるか、失っても惜しいとは思わないだろう」
- 「少量の哲学は無神論に導き、多量の哲学は再び神へと戻す」
- 「我々は、マキアヴェリや他の者たちに多大な恩を負っている。彼らは人々が『なすべきこと』ではなく、『実際にしていること』について書いた」
- 「嘘は意見を生み出すのに十分であり、意見は実体をもたらす」
- 「人は通常、自分の傾向に従って考え、学びや根深い意見に従って話し、そして一般的には慣習に従って行動する」
- 「神の最初の創造物、それは光であった」
- 「怒りは確かに卑しさの一種であり、それが支配する対象、すなわち子供、女性、老人、病人における弱さにおいてよく現れている」
- 「復讐はある種の野蛮な正義であり、人の性質がそれに走りがちであればあるほど、法によって取り除かれるべきである」
- 「人は死そのものを恐れているのではなく、死に至る瞬間だけを恐れているのだと私は信じている」
- 「宗教に関する争いや分裂は異教徒には未知の悪であった。なぜなら、異教徒の宗教は特定の信念ではなく、むしろ儀式や祭式に重きを置いていたからである」
- 「人に想像力が与えられたのは、彼が『なりえなかったもの』を補うためであり、ユーモアのセンスが与えられたのは、彼が『現実の自分』を慰めるためである」
- 「心の美徳と尊厳の中で、善良さは最も偉大なものである。それは神の特質であり、善良さがなければ人間はただ忙しく、悪意に満ち、惨めな存在となる」
- 「幸福と知恵には違いがある。自分が最も幸福だと思う者は本当に幸福であるが、自分が最も賢いと思う者は概して最大の愚か者である」
- 「忍耐を失う者は、自らの魂をも失っている」
- 「学びは人の本性を完成させ、経験によってさらに完成される」
- 「独身生活は、素晴らしい朝食、味気ない昼食、そして惨めな夕食のようなものである」
- 「したがって、人が鋭く注意深く見るならば、運を見つけることができる。なぜなら、運は盲目であっても、決して見えないわけではないからだ」
- 「新しい解決策を適用しない者は、新しい災いを覚悟しなければならない」
- 「その国の才知、機知、そして精神は、そのことわざによって明らかになる」
- 「若者は判断するよりも発明するのに適しており、助言するよりも実行するのに適しており、安定した業務よりも新しいプロジェクトに向いている」
- 「知識は力なり」
- 「人生は、不幸な者にとっては永遠であり、幸福な者にとっては一瞬である」
- 「しかし人は知るべきである。この人生という舞台において、傍観者であることが許されているのは神と天使のみである」
- 「沈黙は知恵を養う眠りである」
- 「これには医術の規則を超えた知恵がある。自分自身の観察により、何が自分に良いか、何が害になるかを知ることが、健康を保つための最良の医術である」
- 「自然を支配するためには、まず自然に従わなければならない」
- 「多くの人の強さは逆境の中にあり、失敗したときにはその力は役に立たなくなる」
- 「過剰な力への欲望が天使を堕落させ、知識への欲望が人間を堕落させた」
- 「読書は充実した人を、会話は機知に富んだ人を、そして文章を書くことは正確な人をつくる」
- 「若者にとって旅は教育の一部であり、年長者にとっては経験の一部である」
- 「愛しながら賢明でいることは不可能である」
- 「本には、味わうべきもの、飲み込むべきもの、そして咀嚼し消化すべきものがある」
- 「孤独を楽しむ者は、獣か神である」
- 「光がこれほど明るく輝くためには、闇が存在しなければならない」
- 「家は住むために建てられるものであり、見栄えのためではない。ゆえに、統一性よりも実用性を優先すべきである」
- 「神は最も重い重荷を最も細い糸にかける」
- 「知識と人間の力は同義である」
- 「友情は友人を訪れることで深まるが、それは時々訪れるからこそである」
- 「繁栄には多くの恐れや不満が伴い、逆境には多くの慰めや希望が伴う」
- 「権力を求めて自由を失うこと、または他者に対する権力を求めて自己の制御を失うことは、不思議な欲望である」
- 「人が自分の悩みを笑い飛ばすと、多くの友を失う。彼らは自分の特権を失うことを決して許さない」
- 「運命の道は、空に浮かぶ天の川のようなものだ。それは多くの小さな星から成り立っていて、個々には見分けがつかないが、共に輝きを放つ。同じように、運命をつかむためには、多くの小さな、なかなか見分けられない美徳や、むしろ能力や習慣が必要である」
- 「最も有益な生活を選びなさい。習慣がそれを最も快適にしてくれるだろう」
- 「全能の神が最初に庭を作られた。確かに、庭は人間の最も純粋な喜びである」
- 「誰も見ていないような運命こそが、人を幸せにし、嫉妬されることなく生きさせる」
- 「裁判官は機知よりも学識があり、説得力よりも敬意があり、確信よりも慎重であるべきである。何よりも、誠実さこそが彼らにふさわしい資質であり、美徳である」
- 「復讐を考える者は、自らの傷を生々しく保ち続ける」
- 「学問は楽しみのために、装飾のために、そして能力のために役立つ」
- 「賢者は見つけた機会よりも多くの機会を自ら作り出す」
- 「抜け目ない者が賢明な者として扱われることほど、国家に害をなすものはない」
- 「物事は意図的に良い方向に変えなければ、自然と悪い方向に変わってしまう」
- 「名声とは川のようなもので、軽く膨らんだものを浮かべ、重く堅実なものを沈める」
- 「絵や形は二次的なものであり、記憶の中でのみ喜びや不快を与えるに過ぎない」
- 「その瞬間の思考を書き留めなさい。ふと浮かんでくる思考こそ、一般に最も価値があるものだ」
- 「パンが見つかるまではドングリが良いものだった」
- 「美とは、無限の感覚的なイメージにすぎない」
- 「海しか見えないときに陸地は存在しないと考える者は、悪い探検者である」
- 「確かに、最も優れた作品や公共のための最大の功績は、独身者や子供のいない者から生まれている」
- 「怒りは鈍い人を機知に富ませるが、彼らを貧しくもする」
- 「宗教に次いで大切にすべきは、正義を推進することである」
- 「最悪の人間が、しばしば最良の助言を与える」
- 「正義の場は神聖な場所である」
- 「友が与える助言と自分自身が与える助言の間には、友人の助言とお世辞を言う者の助言との間にあるのと同じくらいの違いがある。なぜなら、これほどのごますりはいないからである」
- 「人生においても道においても、最短の道は通常、最も汚れており、美しい道はそれほど遠回りではない」
- 「成功できなかったことで失うものと、挑戦しなかったことで失うものとでは比べものにならない」
- 「知恵ある者は言葉を控える」
- 「治療法が病気よりも悪い」
- 「人が見知らぬ者に対して親切で礼儀正しいならば、それは彼が世界市民であることを示している」
- 「真実は時間の娘であり、権威の娘ではない」
- 「突然の大胆で予期しない質問は、しばしば人を驚かせ、その内面をさらけ出させる」
- 「自然に従うことでしか、私たちは自然を支配することはできない」
- 「生まれつきの能力は自然の植物のようなもので、学びによって剪定される必要がある。そして学問もまた、経験によって範囲を限定されなければ、大雑把な指針を与えるに過ぎない」
- 「迷信の根源は、人が物事がうまくいった時だけに注目し、うまくいかなかった時には目を向けないことにある」
- 「真実は良い犬だが、誤りのかかとにあまりに近づいて吠えるのは注意せよ。脳天を蹴られかねないからだ」
- 「多く質問する者は、多くを学び、多くを記憶する」
- 「人の知恵が散漫であるならば、数学を学ばせよ」
- 「希望は良い朝食だが、悪い夕食である」
- 「確かに復讐をすれば人は敵と同じ立場になるが、それを許せば優位に立つ。赦すことは王者の行いである」
- 「友人は時間を奪う盗人である」
- 「最も深い孤独は、真の友情を持たないことである」
- 「真実はあまりにも語りにくいため、時にそれをもっともらしくするためには虚構が必要である」
- 「私は決して年老いることはない。私にとって老年とは、常に自分より15歳年上のことだ」
- 「確信から始める者は疑念に至り、疑念から始める者は確信に至る」
- 「確かなことだが、復讐を考える者は傷を新たに保ち続け、さもなければ癒えて良くなるはずのものを台無しにする」
- 「優れた美には、必ずどこかに奇妙さが含まれている」
- 「死ぬことは生まれることと同じように自然であり、幼子にとっては、おそらくどちらも同じくらい苦しいものだろう」
- 「繁栄は旧約聖書の祝福であり、逆境は新約聖書の祝福である」
- 「人生の究極の目的は、知識ではなく行動である」
- 「勇気は思考の指揮官であり、意志の鎧であり、理性の砦である」
- 「隣人を自分のように愛することに対する相関的な考え方は、隣人を憎むように自分を憎むことである」
- 「腹の反乱は最も厄介である」
- 「もし私たちが正義を守らなければ、正義も私たちを守らないだろう」
- 「良い助言を与える者は片手で建てる。良い助言と模範を示す者は両手で建てる。しかし、良い忠告をしながら悪い模範を示す者は、片手で建て、もう片手でそれを壊す」
- 「神は、墓のこちら側で我々に与えた知性を行使することに何の制限も設けていない」
- 「話の慎みは雄弁よりも価値があり、相手にとって心地よい言葉を使うことは、良い言葉や整然とした話し方をすることよりも大切である」
- 「変化がなければ、何事も楽しさはない」
- 「自然はしばしば隠され、時には克服されるが、滅することはほとんどない」
- 「良い名声は火のようなものである。一度燃え上がれば容易に保てるが、一度消してしまうと再び燃え上がらせるのは難しい」
- 「自然の精妙さは、人間の感覚や理解をはるかに超えている」
- 「愛は常に報われる。それが返されるか、あるいは内なる密かな軽蔑としてである」
- 「お金は肥料のようなもので、広く分け与えなければほとんど役に立たない」
- 「沈黙は愚者の美徳である」
- 「妻子を持つ者は運命に人質を差し出したようなものである。彼らは、善事にも悪事にも関わる大きな企てにとって妨げとなる」
- 「人は機会を見つけるだけでなく、自ら作り出さなければならない」
- 「身体も国家も運動なしに健康を保つことはできない。そして確かに、王国や国家にとっては、正当で名誉ある戦争が真の運動である」
- 「美の最も素晴らしい部分は、どんな絵にも表せないものである」
- 「賢明な問いは、知恵の半分である」
- 「復讐をすれば人は敵と同じ立場になるが、それを見過ごせば優位に立つ」
- 「芸術家の役割は、常に神秘を深めることである」
- 「妻は若者にとっては恋人、中年にとっては伴侶、そして老人にとっては看護人である」
- 「『真実とは何か?』と、からかうようにピラトは言ったが、答えを待とうとはしなかった」
- 「科学とは、真実の一つの姿にすぎない」
- 「人を疑い深くさせるものは、知識の乏しさほどのものはない」
- 「人間の人生において重要なことは、魂を善へと導くか、悪へと導くかの技である」
- 「ファッションとは、生きた形や社会的な交流の中で、芸術を具現化しようとする試みである」
- 「真実は混乱からよりも、誤りからのほうが見出されやすい」
- 「聖霊の筆は、ソロモンの幸福よりも、ヨブの苦難を描くことにより多くの労力を注いでいる」
- 「徳は貴石のようなもので、最も美しく映えるのは飾り立てないときである」
- 「読むのは反論したり論破するためでもなく、信じて鵜呑みにするためでもない。熟考し、よく考えるために読むべきである」
- 「富は良き召使いであるが、悪しき主人である」
- 「運とは市場のようなもので、時には少し待てば価格が下がることがある」
- 「機会が人を盗人にする」
- 「私の名声と記憶は、人々の寛大な言葉と、外国の人々、そして次の時代に委ねる」
- 「人々は悪魔を欺けると知ったが、隣人は欺けない」
- 「年を重ねることは四つの事柄で最も良いものとなる。薪は古いほどよく燃え、ワインは古いほど味わい深く、友人は古いほど信頼でき、著者は古いほど読むに値する」
- 「真の政治家であることは、真に道徳的であることと同じくらい難しく厳しいものである」
- 「生き物の誕生が最初は不完全な形であるように、すべての革新もまた、時の中で生まれる未熟なものだ」
- 「子供は労苦を和らげるが、不幸をより一層苦いものにする」
- 「裁判官は過度な解釈や無理な推論に注意しなければならない。法ほど残酷な拷問はないからである」
- 「新しい解決策を適用しない者は、新たな災いに備えねばならない。時が最も偉大な革新者であるからだ」
- 「屈辱を経て、人は尊厳を得る」
- 「私は、レジェンドやタルムード、コーランにあるすべての寓話を信じるほうが、この世界が心を持たずに存在していると信じるよりもましだ」
- 「浅い哲学は人の心を無神論に傾けるが、深い哲学は人の心を信仰へと導く」
- 「人が死を恐れるのは、子供が暗闇を怖がるのと同じであり、子供の恐れが物語によって増幅されるように、死の恐怖もまた増幅される」