「1982年に、宇宙についての一般向けの本を書くという考えを初めて思いつきました。その目的の一部は、娘の学費を賄うためのお金を稼ぐことでした」
- 1942年1月8日~2018年3月14日
- イギリス出身
- 理論物理学者、サイエンス・ライター
- ブラックホールの特異点定理やホーキング放射を発表し、また著作『宇宙を語る』などで科学の普及に貢献した
英文
“I first had the idea of writing a popular book about the universe in 1982. My intention was partly to earn money to pay my daughter’s school fees.”
日本語訳
「1982年に、宇宙についての一般向けの本を書くという考えを初めて思いつきました。その目的の一部は、娘の学費を賄うためのお金を稼ぐことでした」
解説
この発言は、スティーヴン・ホーキングが一般向けの科学書『ホーキング、宇宙を語る』(A Brief History of Time)を書くことになった背景を語ったものである。このエピソードには、彼が科学者としての活動を社会や家庭生活とどのように結びつけていたかが垣間見える。
ホーキングの科学普及の取り組みは、純粋な学問的興味だけでなく、実際的な動機にも支えられていた。娘の学費を稼ぐという家族のための現実的な理由は、ホーキングが一般向け書籍を書く意義をより広く考えた結果につながった。このような動機が、後に世界中で数千万部が売れるベストセラーを生み出すきっかけとなった。
『ホーキング、宇宙を語る』は、宇宙の仕組みや物理学の最前線を一般の読者にもわかりやすく解説した画期的な本であり、科学に対する社会的関心を高める大きな役割を果たした。ホーキングのこの試みは、科学者が自分の研究を多くの人々に伝えることの重要性を象徴している。
この発言はまた、ホーキングが自身の知識を実用的な形で活用する能力を持っていたことを示している。科学の普及は、知識の共有だけでなく、個人や社会に具体的な利益をもたらす可能性を秘めている。この言葉は、科学が持つ社会的な価値と、それを広く伝える努力の重要性を教えてくれる。
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