「主を礼拝するとは、主にふさわしい場所を与えることであり、主を礼拝するとは、言葉だけでなく、主こそが本当に私たちの人生を導く方であると宣言し、信じることであり、主を礼拝するとは、主こそ唯一の神、私たちの人生の神、歴史の神であると、主の前で確信することである。」

- 1936年12月17日~2025年4月21日(88歳没)
- アルゼンチン出身
- カトリック教会第266代ローマ教皇
英文
“Worshipping the Lord means giving Him the place that he must have; worshipping the Lord means stating, believing – not only by our words – that He alone truly guides our lives; worshipping the Lord means that we are convinced before Him that He is the only God, the God of our lives, the God of our history.”
日本語訳
「主を礼拝するとは、主にふさわしい場所を与えることであり、主を礼拝するとは、言葉だけでなく、主こそが本当に私たちの人生を導く方であると宣言し、信じることであり、主を礼拝するとは、主こそ唯一の神、私たちの人生の神、歴史の神であると、主の前で確信することである。」
解説
この言葉は、礼拝の本質を説明している。フランシスコは、礼拝を単なる儀式や言葉の繰り返しではなく、人生の中心に神を置く行為として定義している。礼拝とは外面的な態度だけではなく、存在の深い部分で神に従う決意を意味しているのである。
歴史的背景として、フランシスコはしばしば「偶像崇拝」との対比でこの考えを語ってきた。人は権力、金銭、快楽といったものを「神」のように扱う傾向があるが、それらは人を救わない。ここで強調されるのは、神こそが歴史と個人の人生を導く唯一の存在であるという確信である。
現代社会においても、このメッセージは重要である。例えば、仕事や物質的な成功に心を奪われると、人はしばしば人生の意味を見失う。しかし、神を人生の中心に据えるとき、個人も共同体も揺るぎない指針を持てる。フランシスコはこの名言を通じて、礼拝は生き方そのものであり、神を人生と歴史の主として認めることが信仰の核心であると教えている。
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