「まず、キリスト者の神が信じず、信仰を求めない者を赦すのかとあなたは問う。前提として、そしてこれは根本的なことだが、神の憐れみは、誠実で悔い改めた心で神に立ち返るならば限りがない。神を信じない者にとっての問題は、自らの良心に従うことにある」

- 1936年12月17日~2025年4月21日(88歳没)
- アルゼンチン出身
- カトリック教会第266代ローマ教皇
英文
“First of all, you ask me if the God of Christians forgives one who doesn’t believe and doesn’t seek the faith. Premise that – and it’s the fundamental thing – the mercy of God has no limits if one turns to him with a sincere and contrite heart; the question for one who doesn’t believe in God lies in obeying one’s conscience.”
日本語訳
「まず、キリスト者の神が信じず、信仰を求めない者を赦すのかとあなたは問う。前提として、そしてこれは根本的なことだが、神の憐れみは、誠実で悔い改めた心で神に立ち返るならば限りがない。神を信じない者にとっての問題は、自らの良心に従うことにある」
解説
この言葉は、神の憐れみの無限性と、信仰を持たない人々に対する視点を示している。フランシスコは、神の赦しは信者に限られたものではなく、誠実な心と悔い改めを持つ者には誰にでも開かれていると説いている。この立場は、排他的ではなく普遍的な神観を示している。
歴史的に、教会は信仰と救いの関係をめぐって多くの議論を重ねてきた。第二バチカン公会議以降、カトリック教会は、信仰を持たない人々においても良心に従う生き方が救いにつながる可能性を強調するようになった。フランシスコの言葉はこの教えを引き継ぎつつ、現代的にわかりやすく表現している。
現代社会において、この言葉は信仰の有無を超えた普遍的倫理の重要性を伝える。信じる者には神への悔い改めが求められ、信じない者には良心に従う誠実さが求められる。いずれにしても、真実と善を追求する姿勢こそが、人間の行為の根本であり、世界をより良くする力になると教えている。
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