「近ごろ経を読む人々を見ると、その経の教えのとおりには振る舞わず、仏が戒めている名誉や利益のために経を読み、仏や神を言葉巧みに持ち上げて、物を乞うている」

- 1394年2月1日~1481年12月12日(87歳没)
- 日本出身
- 禅僧、詩人、思想家、臨済宗の僧
原文
「いまどき経をよむ人を見れば、其経の教のごとくには振舞はずして、仏の誡め給ふ名利の為に、此経をよみて、仏神をすかし奉りて、物を乞ひ奉る」
現代語訳
「近ごろ経を読む人々を見ると、その経の教えのとおりには振る舞わず、仏が戒めている名誉や利益のために経を読み、仏や神を言葉巧みに持ち上げて、物を乞うている」
出典
一休水鏡
解説
この言葉は、宗教的行為が本来の教えから切り離され、名誉や利益を得るための手段へと堕している状況を厳しく批判している。経を読むという行為そのものが目的化し、そこに説かれた倫理や生き方が実践されていない点に焦点が当てられている。信仰は内面の変革を伴うべきであるのに、外形的な儀礼だけが残り、仏や神さえも取引の相手として扱われているという逆転が示されている。
この発言が生まれた背景には、室町期における仏教の世俗化と制度疲労がある。一休宗純は、経文を唱えることが布施や名声を得る職能となり、戒められているはずの名利追求が宗教活動の中心に据えられている現実に強い嫌悪を抱いた。彼にとって経は権威を示す道具ではなく、自己を律し、欲望を照らし返すための鏡でなければならなかった。
現代においてこの言葉は、理念や原則が看板や実績づくりに消費される構造を批評する視座を与える。倫理や思想が語られる場面でも、それが自己正当化や評価獲得の資源に変わるとき、実践との乖離が生じる。自由と規律の関係において重要なのは、理念を掲げることではなく、それに照らされて自らの行為を制限し直す姿勢である。この言葉は、啓蒙とは知識の蓄積ではなく、名利から距離を取る自己形成の不断の努力であることを静かに突きつけている。
「一休宗純」の前後の引用
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