「どの時が夢でないことがあろうか。どの人が結局は骸骨でない者がいようか。その骸骨を色とりどりの皮で包んで大切に扱うからこそ、男女の色欲というものも生じるのである」

- 1394年2月1日~1481年12月12日(87歳没)
- 日本出身
- 禅僧、詩人、思想家、臨済宗の僧
原文
「いづれの時か夢のうちにあらざる、いづれの人か骸骨にあらざるべし。それを五色の皮につつみてもてあつかふほどこそ男女の色もあれ」
現代語訳
「どの時が夢でないことがあろうか。どの人が結局は骸骨でない者がいようか。その骸骨を色とりどりの皮で包んで大切に扱うからこそ、男女の色欲というものも生じるのである」
出典
一休骸骨
解説
この言葉は、現世の華やかさや肉体的な魅力が本質的には仮の姿にすぎないという認識を示している。生きている時間は夢のように移ろい、人は必ず骸骨へと帰する存在であるという厳しい無常観が根底にある。その上で、人が五色の皮、すなわち肉体の外見に包まれた状態を過剰に尊び、男女の色欲や執着を生み出していることを鋭く見抜いているのである。
このような表現が生まれた背景には、室町期の仏教的世界観と、形式化した宗教や道徳への批判がある。一休宗純は、清浄や美徳を外見や規範の遵守によって装う態度に強い違和感を抱き、生死の現実を直視することで人間の虚飾を暴こうとした。骸骨という極端な比喩は、恐怖や嫌悪を喚起するためではなく、思考を現実へ引き戻すための装置であった。
現代においてこの言葉は、消費社会が作り出す美や成功のイメージを相対化する視点を与える。人が評価や欲望の体系に縛られるとき、それは五色の皮を神聖視する態度と同型である。この言葉は、自由とは欲望の否定ではなく、その仮構性を自覚した上で距離を取る規律に支えられることを示唆する。自己形成や勤労倫理においても、外形的な成果や承認に囚われず、有限性を前提にした思索を保つことが、啓蒙的態度として求められているのである。
「一休宗純」の前後の引用
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