「たとえば人の父母は火打ち石のようなものである。金属は父、石は母であり、そこから生じる火が子である」

一休宗純
一休宗純(画像はイメージです)
  • 1394年2月1日~1481年12月12日(87歳没)
  • 日本出身
  • 禅僧、詩人、思想家、臨済宗の僧

原文

「たとへば人の父母は火うちの如し。かねは父、石は母、火は子なり」

現代語訳

「たとえば人の父母は火打ち石のようなものである。金属は父、石は母であり、そこから生じる火が子である」

出典

一休骸骨

解説

この言葉は、親と子の関係を静的な血縁ではなく、働き合いによって生成する関係として捉えている。金と石はそれぞれ単独では火を生まず、両者が打ち合わされてはじめて火が現れる。子は親の単なる延長や所有物ではなく、相互作用の結果として立ち現れる存在であり、親もまたその関係の中で役割を持つにすぎないという見方が示されている。

この比喩が用いられた背景には、家や血統、序列を絶対視する価値観への違和感がある。一休宗純は、親子関係を固定的な上下関係として神聖化する態度を退け、因縁と作用の連鎖として捉え直した。火打ちの譬えは、生成が必然であると同時に偶然性も孕むことを示し、親の徳や権威を超えた生成の論理を強調している。

現代においてこの言葉は、教育や自己形成を結果管理や支配の問題として扱う発想への批評として読むことができる。人は他者を計画的に作り上げることはできず、条件を整え、働きかけることでしか生成に関与できない。この理解は、啓蒙思想における自律の尊重や、勤労倫理における過程重視の姿勢と響き合う。自由とは思い通りに生み出す力ではなく、関係の中で生じるものを受け取り、規律をもって育てる態度に支えられているのである。

「一休宗純」の前後の引用


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