「この浄土はどこにあるのかと言えば、それは自分の心の中にある。また地獄はどこにあるのかと言えば、まさに自分の心の内にある」

一休宗純
一休宗純(画像はイメージです)
  • 1394年2月1日~1481年12月12日(87歳没)
  • 日本出身
  • 禅僧、詩人、思想家、臨済宗の僧

原文

「此の浄土といふはいずくなれば、我が心のうちにあり。又地獄はいずれぞなれば、だいじ我心の内にあり」

現代語訳

「この浄土はどこにあるのかと言えば、それは自分の心の中にある。また地獄はどこにあるのかと言えば、まさに自分の心の内にある」

出典

一休仮名法語

解説

この言葉は、浄土や地獄を死後に赴く外在的な場所としてではなく、人間の心の在り方そのものとして捉える考え方を示している。安らぎや救いは外から与えられるものではなく、心の状態としてすでに内側に存在している一方で、苦しみや責めもまた同じ心の働きから生じるとされる。善悪や救済を空間的に分離する発想を退け、価値判断の根拠を内面へ引き戻しているのである。

このような思想が語られた背景には、来世の救済を強調する教えが広まる中で、現実の生き方が軽視される状況があった。一休宗純は、浄土信仰が死後の報酬として理解されることに強い疑念を抱き、修行や信仰を現在の心の問題として引き受ける姿勢を示した。浄土と地獄を心の内に置くことで、信仰を他力や制度から切り離し、個々人の覚悟へと引き戻そうとしたのである。

現代においてこの言葉は、幸福や不幸を制度や環境のみに帰する思考への批判として読める。社会的成功や自由が整っていても、心が恐れや執着に支配されていれば地獄は成立しうるし、制約の多い状況でも心の秩序が保たれていれば浄土は現前する。この視点は、啓蒙思想における自律の概念や、勤労倫理における内的規律と深く響き合う。自由とは条件の多寡ではなく、心の向け方を引き受ける能力であり、その選択の積み重ねが人を浄土にも地獄にも導くのである。

「一休宗純」の前後の引用


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