「設立当初から、マンデラ&タンボ事務所は多くの依頼人で溢れていた。我々は南アフリカで唯一のアフリカ人弁護士ではなかったが、アフリカ人による弁護士事務所として唯一の存在だった。アフリカ人にとって、我々の事務所は最初に選ばれる事務所であり、最後の頼みの綱でもあった」
画像のクレジット表示:John Mathew Smith 2001,”From Wash D.C. Longworth building October 4, 1994. Mandela’s first trip to the United States.”,CC BY-SA 2.0,Nelson Mandela 1994 – Nelson Mandela – Wikipedia
- 1918年7月18日~2013年12月5日
- 南アフリカ出身
- 政治家、弁護士
- 南アフリカ初の黒人大統領でアパルトヘイトを廃止し、多民族共存の民主的南アフリカを築いた功績でノーベル平和賞を受賞した
英文
“From the beginning, Mandela and Tambo was besieged with clients. We were not the only African lawyers in South Africa, but we were the only firm of African lawyers. For Africans, we were the firm of first choice and last resort.”
日本語訳
「設立当初から、マンデラ&タンボ事務所は多くの依頼人で溢れていた。我々は南アフリカで唯一のアフリカ人弁護士ではなかったが、アフリカ人による弁護士事務所として唯一の存在だった。アフリカ人にとって、我々の事務所は最初に選ばれる事務所であり、最後の頼みの綱でもあった」
解説
この言葉は、ネルソン・マンデラとオリバー・タンボが設立した「マンデラ&タンボ法律事務所」が、南アフリカの黒人社会にとってどれほど重要な存在であったかを物語っている。アパルトヘイト体制下では、黒人が法律の専門家として活動する機会が限られ、黒人の依頼人が公平な法的支援を受けるのは非常に困難だった。この法律事務所は、彼らにとって希少で信頼できる存在だった。
「最初に選ばれる事務所」という表現は、マンデラ&タンボが黒人社会にとって法的問題を相談する際の最初の選択肢であったことを示している。依頼人たちは、同じ肌の色を持つ弁護士たちが自分たちの声を代弁してくれることに希望と安心感を抱いていた。
「最後の頼みの綱」という言葉は、この事務所が絶望的な状況にある人々にとって、法的支援の最終的な砦であったことを示唆している。他に選択肢がなく、正義がほとんど期待できない状況下で、マンデラ&タンボは人々に救済の道を提供した。この役割は、当時の南アフリカ社会におけるアパルトヘイト体制の抑圧を背景に、特に重要だった。
この言葉は、法律の力が抑圧された人々にとってどれほどの希望と支援をもたらすことができるかを教えている。マンデラ&タンボの活動は、正義の実現には法的支援が不可欠であることを示すだけでなく、団結と信頼がどれほど重要かをも伝えている。この事務所の存在は、アフリカ人に自己肯定感と権利意識をもたらした象徴的なものだった。
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