「没頭しているからといって、怠けているわけではない。労働には目に見えるものと見えないものがある。思索することは労働であり、考えることは行動である。腕を組むことも手を合わせることも、行動である。天を仰ぐ目は一つの創造の行為である」
- 1802年2月26日~1885年5月22日
- フランス出身
- 作家、詩人、劇作家
- 『レ・ミゼラブル』『ノートル=ダム・ド・パリ』などの小説や詩を執筆し、フランス・ロマン主義文学を代表する存在であり、世界的な影響を与えた
英文
“One is not idle because one is absorbed. There is both visible and invisible labor. To contemplate is to toil, to think is to do. The crossed arms work, the clasped hands act. The eyes upturned to Heaven are an act of creation.”
日本語訳
「没頭しているからといって、怠けているわけではない。労働には目に見えるものと見えないものがある。思索することは労働であり、考えることは行動である。腕を組むことも手を合わせることも、行動である。天を仰ぐ目は一つの創造の行為である」
解説
この名言は、目に見えない労働や内面的な活動が、表面的な行動と同じくらい重要で価値のあるものであるとユゴーが考えていることを示している。 ヴィクトル・ユゴーは、思索や精神的な探求も一種の労働であり、ただ外的な行動だけが「働く」ことではないと考えている。人が深く考えたり、内面に没頭しているとき、それは表面には現れないかもしれないが、精神的な活動としての労働が行われているとユゴーは主張している。思索や瞑想、祈りといった行為は、創造的なエネルギーを必要とし、内面的な充実や新しいアイデアを生み出すものであり、これもまた価値ある労働の一つとされている。
ユゴーの視点は、労働が単なる肉体的な行動に限られず、思考や内面の活動もまた生産的であるという認識に基づいている。 たとえば、芸術家や哲学者が物理的な行動を取っていなくても、彼らが行う内面の探求や思索は、新たな作品や思想を生み出すための重要なプロセスである。集中して考えたり、内面の世界に没頭することは、見た目には静止しているように見えるが、内的には活動が行われ、創造や発見が進行しているのだとユゴーは述べている。彼は、見えない労働の重要性と、それが私たちの知識や文化を豊かにするものであることを強調している。
この名言は、現代においても思考や内面的な労働が創造的な活動として認められるべきであることを再認識させてくれる。 物理的な行動や目に見える労働だけでなく、アイデアや思索、瞑想がもたらす創造性の重要性を理解することで、自己や社会にとっての「働く」ことの意味が広がる。ユゴーの言葉は、内面的な活動が人生や創造においていかに深い影響を与え、価値あるものであるかを教えており、表面的な労働と同様に尊重されるべきものであることを示している。
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