「私たちは神が何であるかを知ることはできず、ただ神が何でないかを知ることができるだけである。ゆえに、神がどのような存在であるかではなく、神がどのような存在でないかを考えざるを得ない」

- 1225年頃~1274年3月7日
- シチリア王国(イタリア)出身
- 神学者、哲学者
- スコラ学の代表的存在であり、代表作『神学大全』を通じて、カトリック教会の教義と理性の関係を体系化した
英文
“Because we cannot know what God is, but only what He is not, we cannot consider how He is but only how He is not.”
日本語訳
「私たちは神が何であるかを知ることはできず、ただ神が何でないかを知ることができるだけである。ゆえに、神がどのような存在であるかではなく、神がどのような存在でないかを考えざるを得ない」
解説
この言葉は、アクィナスが神の本質と認識の限界について述べたものである。彼は、神の本質があまりにも崇高であるため、人間の限られた認識能力では神の存在を直接理解することができないと考えた。そのため、私たちは神が「どのようであるか」を知るのではなく、「どのようでないか」を通して神の本質を間接的に理解するしかないという姿勢を示している。これは、神の無限性や超越性を強調し、人間の理性の謙虚さを促す考え方である。
現代においても、この考え方は神秘や超越的存在へのアプローチとして重要である。科学や哲学が進んでもなお、宇宙や存在の本質に対して私たちが完全な理解を得るのは難しく、謙虚な姿勢で「分からない部分」を尊重することが必要とされている。アクィナスの言葉は、未知や不可知の領域に対して敬意を払い、理解しようとする努力を続けることの価値を教えている。
日常生活においても、この教えは謙虚な姿勢を保つために役立つ。例えば、他者や世界の奥深い真理に直面したとき、自分の理解の限界を認めることで、さらに深い探求や学びが可能になる。自分には分からないものがあることを認め、それに敬意を持つことで、自己の成長や新しい視点を得る道が開かれる。
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