「私たちが生きると呼んでいるこの絶え間ない闘いの中で、私たちは育てられた社会に従って行動規範を定めようとする。それが共産主義社会であれ、いわゆる自由社会であれ同じである。私たちはヒンドゥー教徒やイスラム教徒、キリスト教徒、あるいは自分が属するものとして、伝統の一部として行動基準を受け入れている」

ジッドゥ・クリシュナムルティ(画像はイメージです)
ジッドゥ・クリシュナムルティ(画像はイメージです)
  • 1895年5月11日~1986年2月17日(90歳没)
  • インド出身
  • 思想家、精神的指導者

英文

”In this constant battle which we call living, we try to set a code of conduct according to the society in which we are brought up, whether it be a Communist society or a so-called free society; we accept a standard of behaviour as part of our tradition as Hindus or Muslims or Christians or whatever we happen to be.”

日本語訳

「私たちが生きると呼んでいるこの絶え間ない闘いの中で、私たちは育てられた社会に従って行動規範を定めようとする。それが共産主義社会であれ、いわゆる自由社会であれ同じである。私たちはヒンドゥー教徒やイスラム教徒、キリスト教徒、あるいは自分が属するものとして、伝統の一部として行動基準を受け入れている」

解説

この言葉は、社会的規範と個人の生の関係を問題化している。クリシュナムルティは、人間が生を「闘い」として経験するのは、社会によって規定された行動規範に従おうとするからだと指摘する。社会制度が共産主義であれ自由主義であれ、その本質は同じであり、人は枠にはめられた基準に従って生きるよう条件づけられているのである。

ここで強調されるのは、伝統と同一化の力である。人は宗教的・文化的背景をもとに「正しい行動基準」を受け入れるが、それは自らが主体的に見出したものではなく、単に所属集団から与えられたものにすぎない。その結果、人生は自由な探究ではなく、伝統と規範に縛られた闘いの連続となる。

現代においても、この洞察は鋭い。社会制度や宗教的価値観に従うことは秩序を保つ一方で、個人を不自由にする。クリシュナムルティの言葉は、与えられた行動基準を無批判に受け入れることが生の闘争を生み出していると告げ、そこから自由になることの必要性を示している。

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