「6歳のとき、ビランの小さな公立学校で教えていた野心に満ちた一人の教師が、私の家族にこう説得した――姉が名門の修道院学校に入学するにあたり、私も同行させるべきだと。その提案に私を含めたのは、まさにそのビランの小さな学校の教師の手腕だった」

- 1926年8月13日~2016年11月25日
- キューバ出身
- 革命家、政治家、弁護士
英文
“At the age of 6, a teacher full of ambitions, who taught in the small public school of Biran, convinced my family that I should travel to Santiago de Cuba to accompany my older sister who would enter a highly prestigious convent school. Including me was a skill of that very teacher from the little school in Biran.”
日本語訳
「6歳のとき、ビランの小さな公立学校で教えていた野心に満ちた一人の教師が、私の家族にこう説得した――姉が名門の修道院学校に入学するにあたり、私も同行させるべきだと。その提案に私を含めたのは、まさにそのビランの小さな学校の教師の手腕だった」
解説
この言葉は、フィデル・カストロの幼少期における教育との出会いと、初期の人生の転機を象徴的に語った回想である。カストロは裕福な家の子でありながら、地方の公立学校に通っていたが、ある一人の教師の働きかけにより、教育の道へと本格的に踏み出す機会を得た。彼の家庭が当初予定していなかったサンティアゴ・デ・クーバへの同行が実現したのは、その教師の洞察力と信念、そして説得力の成果であった。
このエピソードは、教育者がもつ影響力と、それが未来の社会に与える潜在的な力を象徴している。カストロのその後の革命家・政治家としての道のりは、このような早期の教育的介入と支援によって可能になったとも言える。ここで語られる「教師の手腕」とは、単なる学問の教えではなく、子どもの可能性を見抜き、それを広げるための行動力にほかならない。
現代においてもこの言葉は、教育の初期段階における教師の重要性と、社会変革のきっかけはどこにでも潜んでいるという教訓を与えてくれる。カストロのこの発言は、歴史を動かす人物でさえ、教育という静かな力に導かれたという事実を示し、すべての教育者に対する深い敬意を含んだメッセージである。
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