「今日は神を愛するように自分を愛している。誰が今日、私に罪を問えるだろうか? 私が知っているのは、私の神に対する罪のみである。しかし、私の神を知る者はいるだろうか?」

フリードリヒ・ニーチェ
フリードリヒ・ニーチェの名言
  • 1844年10月15日~1900年8月25日
  • ドイツ出身
  • 思想家、哲学者、詩人、古典文献学者
  • 『ツァラトゥストラはこう語った』『善悪の彼岸』『道徳の系譜』などの著作で、従来の道徳や宗教、真理に疑問を投げかけ、現代哲学に多大な影響を与えた

英文

”Today I love myself as I love my god: who could charge me with a sin today? I know only sins against my god; but who knows my god?”

日本語訳

「今日は神を愛するように自分を愛している。誰が今日、私に罪を問えるだろうか? 私が知っているのは、私の神に対する罪のみである。しかし、私の神を知る者はいるだろうか?」

解説

ニーチェは、ここで「神」と「自己」を一体化する考えを示し、自己愛や自己の価値観が自分にとっての最高の基準であると述べている。彼は、自分を愛し、自分の内なる「神」を尊重することが、自身の道徳的な指針となると考えている。この言葉では、一般的な宗教や社会の道徳規範を超え、個人が自分自身に対して責任を持つ「内なる神」を持つことを重要視している。その結果、自分にとっての「神」が指し示す基準や価値観にのみ罪を感じ、他者や社会からの批判や罪の観念から自由になれると考える。

この考え方は、現代の自己理解や個人の価値観にも関連している。たとえば、自分の信念や価値観に基づいて生きることが、他者や社会の期待や評価から独立した自己の基盤を築くために重要である。社会が押し付ける価値観や他者からの批判を気にしすぎると、自分自身の本質や真の欲求を見失うことがある。しかし、自らの内なる価値観や道徳基準を持つことで、自分が何を良しとするか、何を罪とするかの判断を自分自身に委ね、自己に忠実でいることができる。

ニーチェのこの言葉は、他者や社会からの価値判断にとらわれず、自己の基準を尊重することの重要性を教えている。自分自身の信念や価値観が自己の道徳基準としての「神」となり、それによって他者の評価に揺るがない自己の自由が得られる。ニーチェは、他人の目を意識せず、自己の神を持つことで、自分らしく生きることが人間の本質に沿った生き方であると示唆している。

感想はコメント欄へ

この名言に触れて、あなたの感想や名言に関する話などを是非コメント欄に書いてみませんか?


関連するタグのコンテンツ

申し込む
注目する
guest

0 Comments
最も古い
最新 高評価
インラインフィードバック
すべてのコメントを見る