「不正が非難されるのは、非難する者が不正を行うことを恐れているのではなく、不正によって自分が被害を受けることを恐れているからである」

- 紀元前427年~紀元前347年
- 古代ギリシアのアテナイ(アテネ)出身
- 哲学者、学者、アカデメイア(アカデミー)創設者
英文
”Injustice is censured because the censurers are afraid of suffering, and not from any fear which they have of doing injustice”
日本語訳
「不正が非難されるのは、非難する者が不正を行うことを恐れているのではなく、不正によって自分が被害を受けることを恐れているからである」
解説
この名言は、不正に対する人間の道徳観が、必ずしも純粋な倫理的理由によるものではないという鋭い洞察を提供している。プラトンは、しばしば人々が不正を非難する動機が、自分がその不正の犠牲者になることへの恐れから来ていることを指摘している。つまり、人々は不正行為そのものが悪いと信じているからではなく、自分が不利益を被ることを恐れて不正を非難することが多い。不正を恐れる理由が自己保護の本能に基づいていることが、この言葉の核心である。
プラトンは、人間の行動や判断が利己的な動機によって左右されることをよく理解していた。彼は、人間が道徳的に正しい行動を取る理由が、必ずしも真の倫理的信念から来ているわけではないと考えていた。多くの人は、自分に害が及ぶことを恐れるからこそ、不正を非難し、正義を求めるようになる。もし自分に不利益が及ばないのであれば、不正に対する関心や道徳的な義憤はそれほど強くないかもしれない。この名言は、人間の道徳観が利己的な理由に根ざしている場合が多いという、冷徹な現実を指摘している。
現代社会でも、この名言は多くの例に当てはまる。たとえば、人々が不正や不平等を非難する理由の一部は、それが自分の生活に悪影響を及ぼすことへの恐れに由来することがある。税金の不正使用や腐敗を非難する人々の中には、自分たちが経済的に損害を受けることを恐れている場合がある。同様に、社会的な不正義に対する抗議は、しばしばその影響が自分たちのコミュニティや生活に及ぶからこそ強まることがある。真の正義を求める動機と自己保護のための動機の違いは、私たちが道徳的な行動を考える際に重要なポイントである。
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