「本の読み方にも、いろいろな読み方がある。第一に筋書きだけを追って、ただ面白く読もうというのは、最も浅い読み方だ。第二に、その本の成立や歴史的背景、当時の社会の姿、本の中の人物、またその本が表そうとしている意味を、思索しながら読む読み方がある。第三に、作者の人物や、その境涯、その人の人生観、世界観、宇宙観、思想を読む読み方がある。そこまで読まなければ、本当の読み方ではない」

- 1900年2月11日~~1958年4月2日(58歳没)
- 日本出身
- 創価学会会長(第2代)、教育家、実業家、数学者
原文
「本の読み方にも、いろいろな読み方がある。第一に筋書きだけを追って、ただ面白く読もうというのは、最も浅い読み方だ。第二に、その本の成立や歴史的背景、当時の社会の姿、本の中の人物、またその本が表そうとしている意味を、思索しながら読む読み方がある。第三に、作者の人物や、その境涯、その人の人生観、世界観、宇宙観、思想を読む読み方がある。そこまで読まなければ、本当の読み方ではない」
解説
この言葉は、読書の深さは読み手の姿勢によって大きく変わるという教えである。単に筋書きを追って楽しむだけでは、その作品の持つ価値の一部しか受け取れない。次の段階として、歴史的背景や社会状況、登場人物の性格や行動の意味を考察しながら読むことで、作品の奥行きが見えてくる。そして最も深い読み方は、作者の人生や思想、世界観、さらには宇宙観までを感じ取りながら読むことであり、そこに至って初めて真の理解に近づけると説いている。
戸田城聖がこう述べた背景には、読書を単なる娯楽ではなく、人格形成と思想鍛錬の手段として重視した教育観がある。戦後の復興期、速読や軽い読書が広まる中で、彼は深く考え抜く読書こそが指導者や有為な人材を育てると考えていた。
現代においても、この言葉は有効である。例えば、同じ歴史小説でも、物語として楽しむだけの読み方と、史実や作者の思想を踏まえて読む場合とでは、得られる知見の質が大きく異なる。読書は情報の摂取ではなく、作者との思想的対話であるという視点は、知的成長を志す者にとって欠かせない指針である。
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