「和を尊び、争わないことを基本とせよ」

- 574年2月7日頃~622年4月8日
- 日本(飛鳥時代)出身
- 皇族、政治家、思想家
- 推古天皇の摂政として政治改革を推進し、十七条憲法を制定して国家体制の基礎を築いた。仏教の興隆にも尽力し、日本の精神文化と政治思想に大きな影響を与えた。
原文
「和ぐを以て貴しとし、忤ふること無きを宗とす」
現代語訳
「和を尊び、争わないことを基本とせよ」
解説
この言葉は聖徳太子の「十七条憲法」の第一条にあたるものであり、日本文化に深く根付いた「和」の精神を初めて明文化した歴史的な一節である。太子は、国家や社会をまとめるためには個々の対立を抑え、協調と一致を第一に考えるべきであると説いたのである。飛鳥時代は豪族同士の権力争いが絶えず、国を安定させるためには何よりも和を重んじる必要があった。
この思想は現代日本にも色濃く受け継がれている。企業の会議や学校の教育現場においても、個人の主張以上に全体の調和が尊ばれる風土が見られる。もちろん、現代では建設的な意見対立も重要視されるが、それでもなお、最終的には協力と合意を目指すことが理想とされる。この「和を以て貴しとす」という教えは、平和的共存と共同体意識を築くための普遍的な原則である。
具体例として、国際関係において日本が「対話による解決」を重視する姿勢や、企業内でのコンセンサス重視の文化が挙げられる。対立を乗り越え、皆で力を合わせることが最も尊い道であるというこの名言は、現代社会においてもなお生き続けているのである。
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