「六〇年代がもたらしたのは、僕たち一人ひとりが持つ可能性と責任を示したことだった。答えそのものではなかった。ただ、その可能性の一端を垣間見せてくれたのだ」

- 1940年10月9日~1980年12月8日
- イギリス出身
- ミュージシャン、作詞作曲家、平和活動家
- ロックバンド「ザ・ビートルズ」の創設メンバーとして世界的な名声を得た。解散後もソロアーティストとして活動し、『Imagine』などの楽曲で反戦と平和を訴えた。音楽と社会運動の両面で20世紀の文化に大きな影響を与えた。
英文
“The thing the sixties did was to show us the possibilities and the responsibility that we all had. It wasn’t the answer. It just gave us a glimpse of the possibility.”
日本語訳
「六〇年代がもたらしたのは、僕たち一人ひとりが持つ可能性と責任を示したことだった。答えそのものではなかった。ただ、その可能性の一端を垣間見せてくれたのだ」
解説
この言葉は、1960年代という時代を礼賛ではなく、冷静かつ内省的に総括する視点から語られている。ジョン・レノンは、当時のヒッピー運動、反戦活動、公民権運動といった大きな社会的変革のうねりが、人々に変革の可能性と、それを実現する責任を意識させたことを認めている。しかし同時に、それは決して完成された答えではなかったとも明言している点に注目すべきである。
1960年代は理想主義の時代であり、「愛と平和」「自由と平等」といった価値が盛んに叫ばれた。だがレノンは、それらが単なる情熱的なムーブメントに終わったのではなく、現実の中に何を実現しようとしたかを見つめ直している。答えはまだ見つかっていないが、人々に変化を起こせるという自覚を与えたという点で、六〇年代は意義深い出発点だったのである。
この視点は、理想と現実のギャップを認識しつつも、希望を失わない姿勢として今日でも価値がある。歴史的なムーブメントを過度に美化せず、それが次の行動へのヒントや視野の拡張にとどまったことを認めたうえで、その可能性を受け継ぎ、実現していく責任は今を生きる私たちにあるという、時間を超えた呼びかけとなっている。
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