「自分自身に対する不正を忍耐をもって耐えることは、完全さの証である。しかし、他人に対する不正を忍耐して見過ごすことは、不完全さの証であり、場合によっては罪でさえある」
- 1225年頃~1274年3月7日
- シチリア王国(イタリア)出身
- 神学者、哲学者
- スコラ学の代表的存在であり、代表作『神学大全』を通じて、カトリック教会の教義と理性の関係を体系化した
英文
“To bear with patience wrongs done to oneself is a mark of perfection, but to bear with patience wrongs done to someone else is a mark of imperfection and even of actual sin.”
日本語訳
「自分自身に対する不正を忍耐をもって耐えることは、完全さの証である。しかし、他人に対する不正を忍耐して見過ごすことは、不完全さの証であり、場合によっては罪でさえある」
解説
この言葉は、アクィナスが忍耐と正義の役割について述べたものである。彼は、自分が被った不正に対して忍耐を示すことは高い徳であり、自己の克己を表していると考えた。しかし、他人に対する不正を黙認することは、責任を果たしていない不完全な態度であり、場合によっては罪であると強調している。これは、自分への忍耐と他者への正義の違いを理解することの重要性を示している。
現代においても、この教えは社会正義や他者の権利の擁護の観点から重要である。自分の問題に対しては忍耐を持つことが美徳とされる一方で、他者が不正を受けている状況に対して沈黙することは、社会的な無関心や不作為に繋がりかねない。アクィナスのこの言葉は、他者に対する責任感や、不正を許さない態度が道徳的な義務であることを示している。
日常生活においても、この教えは自己犠牲と他者の保護を区別する重要性を示している。例えば、他者が困難な状況に陥っているときに助けを差し伸べたり、不正に立ち向かうことで、正義を実践することができる。自己に対しては寛容でありながら、他者に対しては公正な態度を保つことが、成熟した倫理観を示す行動となる。
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