「そもそも知を好む者は多くの場合、人を疑いすぎて過ちを犯し、仁を好む者は多くの場合、人を信じすぎて過ちを犯す。どちらも偏りである」

- 1830年9月20日~1859年11月21日
- 日本(江戸時代・長州藩)出身
- 思想家、教育者、尊王攘夷運動家
原文
「抑々知を好む者は多くは人を疑ふに失す。仁を好む者は多くは人を信ずるに失す。両つながら皆偏なり」
現代語訳
「そもそも知を好む者は多くの場合、人を疑いすぎて過ちを犯し、仁を好む者は多くの場合、人を信じすぎて過ちを犯す。どちらも偏りである」
解説
この言葉は、吉田松陰が知と仁の偏りに対する警告を発したものである。知を重んじる者は理屈を優先するあまり、他人を過剰に疑い信頼を失う危険があり、仁を重んじる者は情に流されて、無分別に人を信じて害を受ける危険があると指摘している。松陰は、いずれにも偏らず、知と仁をバランスよく備えることが、真に賢明な生き方であると説いているのである。
現代においても、この教えは極めて実践的である。論理一辺倒で人を信用できなくなれば、信頼関係を築けず孤立する。一方、情にほだされて無批判に信じれば、裏切りや失敗を招く。吉田松陰は、理性と情愛の双方を磨き、偏りを避けることが、健全な人間関係と社会生活の鍵であると教えているのである。
例えば、ビジネスの場でも、相手を疑いすぎれば取引の機会を失い、信じすぎれば不利益を被る。大切なのは、理性と情を適切に使い分け、互いに補い合うことである。吉田松陰は、真に人間として成長するためには、一方に偏らぬ調和の精神を持たねばならないと、厳しくも温かく説いているのである。
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