「人間が他人を処罰する資格をどこに持っているでしょう。それの認容されるのは階級道徳の世界にかぎります」

- 1878年12月7日~1942年5月29日
- 日本出身
- 歌人、作家、思想家
原文
「人間が他人を処罰する資格をどこに持っているでしょう。それの認容されるのは階級道徳の世界にかぎります」
解説
この言葉は、人間が他者を裁き、処罰することの正当性に対する根本的な疑問を投げかけている。与謝野晶子は、処罰の権限は本来絶対的な倫理や普遍的正義に基づくものではなく、社会が構築した階級的道徳や権力構造の中でのみ成立している相対的なものだと指摘している。つまり、処罰という行為は人間社会の制度や慣習によって認められたものであり、人類普遍の正義から必然的に導かれるものではないという批判である。
この視点は、明治・大正期の封建的価値観や家父長制、さらには近代国家による統制を背景に生まれている。当時、刑罰や道徳規範は、特定の階級や権力層に有利に働き、個人の自由を制約する側面を持っていた。晶子はそのことを鋭く見抜き、「処罰」や「道徳」を絶対視することの危うさを指摘したのである。
現代においても、この言葉は示唆に富む。例えば、国家権力や企業が行う懲罰、さらにはSNSにおける「炎上」や集団的制裁にも、誰が何を基準に他者を裁くのかという問題が存在する。この名言は、処罰の根拠を疑い、正義や倫理の名の下に行われる暴力を相対化する視点を私たちに与えているのである。
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