ウィリアム・ブレイクの名言・格言・警句

- 1757年11月28日~1827年8月12日(69歳没)
- イギリス出身
- 詩人、画家、銅版画職人、神秘主義思想家
人物像と評価
ウィリアム・ブレイクは、18世紀末から19世紀初頭にかけて活動したイギリスの詩人・画家・版画家である。
彼は宗教的幻視と独自の神話体系を作品に織り込み、従来の合理主義や産業社会への批判を展開した。
代表作『無垢と経験の歌』では、純真さと現実の矛盾を象徴的に表現し、後のロマン主義や象徴主義に影響を与えた。
また挿絵入りの詩集を自らの手で制作するなど、詩と美術を融合させた点も革新的であった。
しかし生前は理解されず、風変わりな幻想家として軽視されたことも多い。
20世紀に再評価が進み、今日では詩人としてのみならず、視覚芸術と文学を架橋した先駆者と見なされている。
彼の功績は、個人の内的世界を芸術の中心に据えたことであり、批評の中ではその難解さと奇矯さが指摘される一方、想像力の豊穣さと精神的独創性が高く評価されている。
名言
- 「想像力こそが真実で永遠の世界であり、この植物的な宇宙はそのかすかな影にすぎない」
- 「エネルギーは永遠の歓喜であり、欲望しても行動しない者は疫病を生み出す」
- 「キリスト教の栄光は、赦しによって征服することにある」
- 「ある人々に歓喜の涙をもたらす木は、他の人々の目にはただ邪魔に立っている緑のものにすぎない。自然を嘲笑や醜さとして見る者もいれば、ほとんど自然を見ない者もいる。しかし想像力を持つ人の目には、自然そのものが想像力である」
- 「邪悪な人間があなたの敵になろうとする時、彼らは必ずまず友人になろうとする」
- 「何かが愛するとき、それは無限である」
- 「私が真実を語るのは、それを知らぬ者を説得するためではなく、それを知る者を守るためである」
- 「自らの翼で舞い上がる限り、どの鳥も高く飛びすぎることはない」
- 「愚か者もその愚行を貫けば、賢者となるであろう」
- 「眼が変われば、すべてが変わる」
- 「すべての娼婦もかつては処女であった」
- 「決して意見を変えない人間は停滞した水のようなものであり、心の中に爬虫類を繁殖させる」
- 「芸術は裸の美が示されずしては決して存在し得ない」
- 「帝国の基礎は芸術と科学にある。それらを取り除き、あるいは貶めれば、帝国はもはや存在しない。帝国は芸術に従うのであって、その逆ではないとイギリス人は思い違いをしている」
- 「欲望しても行動しない者は、疫病を生み出す」
- 「常に自分の思いを語る用意をしていれば、卑しい人間はあなたを避けるだろう」
- 「下手な芸術家と優れた芸術家の違いはこうだ。下手な芸術家は多くを模倣しているように見えるが、優れた芸術家は本当に多くを模倣する」
- 「敵を赦すことよりも、友を赦すことのほうが難しい」
- 「私は友に怒りを覚えた、その怒りを語ったので、怒りは終わった。私は敵に怒りを覚えた、それを語らなかったので、怒りは増していった」
- 「この世界において、いわゆる道徳的美徳なくして自由は得られない。そしてまた、いわゆる道徳的美徳を維持するには、それを憎む人類の半分を奴隷にすることなくしてはならない」
- 「生きとし生けるものはすべて神聖であり、生命は生命そのものを喜ぶ」
- 「詩が縛られれば、人類もまた縛られる。国々はその詩や絵画や音楽が滅ぶか栄えるかに応じて、滅びもすれば繁栄もする」
- 「一般化することは愚か者であるということだ」
- 「もし知覚の扉が清められれば、あらゆるものは人に本来の姿である無限として現れるだろう」
- 「愚かさの時間は時計で計ることができるが、知恵の時間はどんな時計でも計ることはできない」
- 「人がどういう存在であるかによって、その人の見るものも決まる。眼がどのように形作られているかによって、その力も決まる」
- 「怒りの虎は、教えの馬よりも賢い」
- 「知識の真の方法は実験である」
- 「妻とは何か、娼婦とは何か。教会とは何か、劇場とは何か。それらは二つであって一つではないのか。分離して存在し得るのか。宗教と政治は同じものではないのか。兄弟愛こそ宗教である。ああ、理性の実演が家族を残酷と誇りによって引き裂くことよ!」
- 「積極的な悪は、消極的な善よりもましである」
- 「他者に善をなそうとする者は、細部においてそれを行わねばならない。一般的な『善』は悪党や偽善者、おべっか使いの口実にすぎない。なぜなら芸術も科学も、緻密に組織された細部の中にしか存在し得ないからである」
- 「溢れるものこそ美である」
- 「旅人たちは私の葉の間に憩い、夢を見る」
- 「極度の悲しみは笑い、極度の喜びは涙する」
- 「ひとつの思念が無限を満たす」
- 「喜びを自らに縛りつける者は
翼ある命を滅ぼす。
だが、飛び去る喜びに口づけする者は
永遠の夜明けの中に生きる」 - 「慈悲と愛と憐れみの宿るところ、そこに神もまた宿る」
- 「緑の森が歓喜の声で笑うとき、
えくぼのように揺れる小川が笑いながら流れるとき、
空気が私たちの陽気な機知とともに笑い、
緑の丘がその響きで笑うとき」 - 「経験の代価とは何か。それは歌で買えるものか。あるいは街頭の踊りで得られるものか。いや、それは人が持つすべて――家も、妻も、子も――を代価として支払って初めて得られるのだ」
- 「甘美な喜びの魂は、決して穢れることはない」
- 「対立なくして進歩はない。引力と斥力、理性とエネルギー、愛と憎しみ――これらは人間の存在に不可欠である」
- 「人には魂と切り離された身体など存在しない。身体と呼ばれるものは魂の一部であり、この時代において魂への主要な入口である五感によって認識されるにすぎない」
- 「勇気に欠ける者は、狡知において強い」
- 「何が十分であるかは、十分を超えるものを知らなければ決して分からない」
- 「砂粒の中に世界を見、野の花の中に天国を見る。
掌の中に無限を抱き、一時間のうちに永遠を抱く」 - 「何をしようとも、この世界は虚構であり、矛盾から成り立っている」
- 「自らの愚行を貫く愚か者は、やがて賢者となる」
- 「過剰の道は知恵の宮殿へと通じる」
- 「対立こそが真の友情である」
- 「今や証明されたことも、かつてはただ想像されたにすぎない」
- 「私は名を持たない、生まれてまだ二日なのだ。
あなたを何と呼ぼうか。
私は幸せ、私の名は喜び。
甘美な喜びがあなたに訪れますように!」 - 「他者の悲しみを見て、私もまた悲しまずにいられるだろうか。
他者の嘆きを見て、優しい慰めを求めずにいられるだろうか」 - 「永遠の夜明けに生きる」
- 「私は自ら体系を創らねばならない。さもなくば他人の体系に奴隷とされるだろう。私は理屈をこねて比較はしない。私の務めは創造することである」
- 「愛は過ちに対していつも盲目であり、常に喜びへと傾く。法を越え、翼を持ち、束縛されず、あらゆる心から鎖を断ち切る」
- 「悪意をもって語られた真実は、作り出されたいかなる嘘にも勝る」
- 「慎重さとは、裕福だが醜い老処女であり、無能によって求婚されるものだ」
- 「人と山とが出会うとき、偉大なことが成し遂げられる」
- 「心と思想において天国を旅したことのない人間は、芸術家ではない」
- 「共に聖書を昼も夜も読むが、汝は黒と読み、我は白と読む」
- 「監獄は法律の石で築かれる。売春宿は宗教の煉瓦で築かれる」
- 「愛は自らを喜ばせようとせず、自らのことを気遣わない。むしろ他者に安らぎを与え、地獄の絶望の中に天国を築く」
- 「天使が人間や悪魔よりも聖なるから天使であるのではない。互いに聖性を求めず、ただ神にのみ聖性を求めるからこそ天使なのである」
- 「守銭奴の目にはギニー金貨は太陽よりも美しく、金で擦り切れた袋は、葡萄で満ちた葡萄の木よりも美しい姿を持っている」
- 「もし太陽と月が疑念を抱いたなら、彼らはすぐに消え去るだろう」
- 「自らの欲望を抑える者は、その欲望が抑えられるほどに弱いからそうするのだ」
- 「偉大なものは必然的に弱き人には理解できぬほど曖昧である。愚か者にも明白にできるものなど、私の関心に値しない」
- 「朝に思索し、昼に行動し、夕に食し、夜に眠る」
- 「芸術は生命の樹である。科学は死の樹である」
- 「楽しみは愛するが、楽しみ過ぎることはあらゆるものの中で最も忌まわしい。陽気さは楽しみよりも良く、幸福は陽気さよりも優れている」
- 「鳥にとっては巣、蜘蛛にとっては巣網、人にとっては友情」
- 「種をまく時に学び、収穫の時に教え、冬には楽しめ」
- 「愚か者が見る木と賢者が見る木とは同じではない」
- 「顔に光を放たぬ者は、決して星となることはない」
- 「キリストの十字架は、罪人を処刑する口実とされるだろう」
- 「私はあなたの中にあり、あなたは私の中にある。神聖な愛において互いに一体である」
- 「感謝して受け取る者は、豊かな収穫を得る」
- 「永遠は時間の産物を愛している」
- 「金銭の欠乏や盗人の困窮が彼の盗みの原因とされることは決してない。なぜなら多くの正直な人々は、さらに大きな苦難をも忍耐をもって耐え忍んでいるからである。ゆえに盗みの原因を金銭の不足に求めることはできない。それは守銭奴の激情であって、盗人のものではない」
- 「ユダヤ人が神の恩恵を独占的に受ける権利を主張したことは、彼らに対する永遠の証拠となるであろう。そして同じことはキリスト教徒に対しても言えるのである」