「祈りとなる思いがある。身体の姿勢がどうであれ、魂がひざまずいている瞬間がある」
- 1802年2月26日~1885年5月22日
- フランス出身
- 作家、詩人、劇作家
- 『レ・ミゼラブル』『ノートル=ダム・ド・パリ』などの小説や詩を執筆し、フランス・ロマン主義文学を代表する存在であり、世界的な影響を与えた
英文
“There are thoughts which are prayers. There are moments when, whatever the posture of the body, the soul is on its knees.”
日本語訳
「祈りとなる思いがある。身体の姿勢がどうであれ、魂がひざまずいている瞬間がある」
解説
この名言は、祈りが言葉や行動に限らず、深い思いや感情がそのまま祈りとなることを示している。 ヴィクトル・ユゴーは、真の祈りは形式にとらわれず、心からの思いや感謝、畏敬の念が自然と祈りのような状態を生むと考えている。魂が「ひざまずく」という表現は、身体的な姿勢に関わらず、心の奥深くで感じる謙虚さや祈りの感覚を象徴している。感謝、後悔、愛などの深い感情が、無意識のうちに祈りと同じような内面的な崇拝や敬虔さを生み出すということをユゴーは表現している。
ユゴーの視点は、祈りが単なる宗教的な儀式ではなく、人間の内面的な経験や感情の一部であり、日常生活の中で心の中に湧き上がるものであるという考えに基づいている。 たとえば、困難な状況での願いや他者への思いやり、自然や人生に対する畏敬の念などは、言葉や行動を伴わなくても、心の中で深い祈りのような存在感を持つ。こうした感情は、特別な儀式や特定の姿勢を取らなくても、心の中で魂がひざまずくような謙虚な姿勢を生み出すものである。
この名言は、現代においても祈りや内面的な感情の持つ力について考えるきっかけを提供している。 日常生活の中で、特に特別な形を取らずとも心からの感謝や願い、感動が自然と湧き上がる瞬間があり、それが心の祈りとして作用する。ユゴーの言葉は、祈りや謙虚さが形式に囚われず、私たちの内面にある感情の純粋さによって生まれることを教えてくれる。このように、魂の祈りは生活の中のさまざまな瞬間に潜んでおり、それを感じ取ることで心の深まりと成長が得られる。
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