「われわれは何のために生まれてきたのか。それは『衆生所有楽』と法華経にあるように、遊びに来たのである。だから、人生は楽しまなければ、つまらないではないか。御本尊を信じきった時に、生きていること自体が楽しい、何をやっても楽しいという人生になるのである」

- 1900年2月11日~~1958年4月2日(58歳没)
- 日本出身
- 創価学会会長(第2代)、教育家、実業家、数学者
原文
「われわれは何のために生まれてきたのか。それは『衆生所有楽』と法華経にあるように、遊びに来たのである。だから、人生は楽しまなければ、つまらないではないか。御本尊を信じきった時に、生きていること自体が楽しい、何をやっても楽しいという人生になるのである」
解説
この言葉は、人生の目的は苦しむことではなく、喜びと楽しみを味わうことにあるという積極的な人生観を示している。「衆生所有楽」という法華経の言葉は、すべての人々が幸福を享受できるべきだという思想であり、ここでは「人生は楽しむためにある」という解釈で語られている。さらに、御本尊を信じきることで、存在そのものに喜びを感じられる境地に至ると述べている。
戸田城聖がこのように語った背景には、戦争や貧困で苦しむ人々に、希望と生きる喜びを取り戻させるための信仰指導がある。当時、多くの人々は人生を「苦行」として受け止めがちであったが、戸田は仏法の目的を「幸福の実現」として明確に打ち出した。そのうえで、信仰がもたらす心の変化こそが、何をしても楽しいと感じられる人生を可能にすると説いた。
現代においても、この考え方は大きな意味を持つ。例えば、仕事や家庭の課題に直面していても、生きる目的と信念を持つ人は日々の出来事を前向きに受け止められる。この言葉は、人生を喜びで満たすためには、内面の信頼と価値観の確立が不可欠であるという普遍的な真理を伝えている。
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