「もし現在の議会がしゃべりすぎの過ちを犯しているとすれば、それも当然だろう。何しろ人々が送り込んでいるのは百五十人もの弁護士たちなのだから。彼らの商売はあらゆることに疑問を投げかけ、何ひとつ譲らず、何時間も話し続けることなのだから」

トーマス・ジェファーソン(画像はイメージです)
トーマス・ジェファーソン(画像はイメージです)
  • 1743年4月13日~1826年7月4日(83歳没)
  • アメリカ合衆国出身
  • 政治家、思想家、第3代アメリカ合衆国大統領

英文

“If the present Congress errs in too much talking, how can it be otherwise in a body to which the people send one hundred and fifty lawyers, whose trade it is to question everything, yield nothing, and talk by the hour?”

日本語訳

「もし現在の議会がしゃべりすぎの過ちを犯しているとすれば、それも当然だろう。何しろ人々が送り込んでいるのは百五十人もの弁護士たちなのだから。彼らの商売はあらゆることに疑問を投げかけ、何ひとつ譲らず、何時間も話し続けることなのだから」

解説

この言葉は、政治における冗長な議論と非効率性への痛烈な皮肉である。ジェファーソンは、弁護士という職業に対して一定の敬意を持ちつつも、議会において議論をこねくり回すばかりで進展を阻む存在になりがちだという現実を冷静に指摘している。特に、問題を複雑にし、決定を先延ばしにする「議論のための議論」への懸念が込められている。

この発言は、ジェファーソンの実務的かつ合理主義的な政治哲学と合致する。彼は議会政治の本質を理解していたが、それが市民の利益よりも職業的な論争や面子に流れる危険性を警戒していた。弁護士的な訓練が、政治家としての柔軟さや妥協の精神と相容れない場合があることを見抜いていたのである。

現代においても、政治の場が専門的知識や言葉巧みな論争に支配され、実質的な解決に至らない状況は多く見られる。この名言は、言葉よりも行動が求められる民主主義の本質を忘れてはならないという警告であり、市民が誰を議会に送り込むかという判断の重みを再認識させる。多弁は必ずしも知性や正義の証ではないという、鋭い洞察がここにある。

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