「戦争の最中、イギリスとフランスは十四か条の原則に全面的に同意していた。しかし戦争に勝利すると、イギリス、フランス、イタリアは自らの帝国主義政策と相反するという理由でウィルソンの構想を妨げようとした。その結果、講和条約は歴史上もっとも不平等な条約の一つとなった」

孫文(画像はイメージです)
孫文(画像はイメージです)
  • 1866年11月12日~1925年3月12日(58歳没)
  • 中国(清国)出身
  • 革命家、政治家、中華民国臨時大総統

英文

”When the war was in progress, England and France agreed wholeheartedly with the Fourteen Points. As soon as the war was won, England, France, and Italy tried to frustrate Wilson’s program because it was in conflict with their imperialist policies. As a consequence, the Peace Treaty was one of the most unequal treaties ever negotiated in history.”

日本語訳

「戦争の最中、イギリスとフランスは十四か条の原則に全面的に同意していた。しかし戦争に勝利すると、イギリス、フランス、イタリアは自らの帝国主義政策と相反するという理由でウィルソンの構想を妨げようとした。その結果、講和条約は歴史上もっとも不平等な条約の一つとなった」

解説

この言葉は、第一次世界大戦後の国際政治における理想と現実の乖離を鋭く批判している。孫文は、アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンが提唱した「十四か条の平和原則」に希望を見出していたが、戦勝国が自己の植民地的利益を優先し、理想的な国際秩序の実現を裏切ったことに深い失望を表明している。

特に中国にとっては、山東半島のドイツ権益が日本に移譲された「ヴェルサイユ条約」の決定が民族的屈辱として受け止められ、五・四運動の契機となった。この文脈での孫文の発言は、欧米列強の二重基準と、国際正義の名の下に進められた新たな不平等体制に対する非難であり、アジア諸国の立場からの国際秩序批判と位置づけられる。

現代においても、国際協定や多国間合意が強国の利害によって形骸化する問題は依然として存在する。孫文のこの言葉は、国際政治における理想の提示だけではなく、その履行に必要な構造的正義と信義がなければ、条約も制度も空虚なものになるという警鐘である。

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