「ロシア国民としてはドイツ国民と争う理由はなかった。対立はそれぞれの帝国主義政策から生じたものである。ロシア人民が帝国主義は歴史的に誤りであると悟ったとき、1917年に革命を起こして国内の帝国主義を打倒した。そして彼らはドイツと個別に和平交渉を行った。」

- 1866年11月12日~1925年3月12日(58歳没)
- 中国(清国)出身
- 革命家、政治家、中華民国臨時大総統
英文
”The Russians as a people had no point of conflict with the Germans; the conflict came from their respective imperialistic policies. When the Russian people learned that imperialism was historically wrong, they set up a revolution in 1917 and overthrew imperialism at home. They then negotiated for peace separately with Germany.”
日本語訳
「ロシア国民としてはドイツ国民と争う理由はなかった。対立はそれぞれの帝国主義政策から生じたものである。ロシア人民が帝国主義は歴史的に誤りであると悟ったとき、1917年に革命を起こして国内の帝国主義を打倒した。そして彼らはドイツと個別に和平交渉を行った。」
解説
この言葉は、孫文が第一次世界大戦とロシア革命を結びつけて解釈した点で注目される。彼はロシアとドイツの対立は民族的なものではなく、帝国主義という国家政策の産物であると見抜いた。そしてロシア人民が帝国主義を否定し、1917年の革命で旧体制を倒したことを高く評価し、さらに戦争からの離脱を可能にしたと指摘している。
この見方は、孫文の思想における反帝国主義と民族解放の重視を反映している。彼にとってロシア革命は、帝国主義に代わる新しい秩序を模索する歴史的事件であり、中国が列強の支配から脱却する際の参考例でもあった。同時に、彼は「人民の覚醒」が国家の進路を変える力になることを強調している。
現代的視点から見ると、この言葉は戦争の根源を権力者の政策に求める批判的視点を示している。国民同士には本来対立の理由はなく、国家の利害が戦争を生むという洞察は、今日の国際紛争にも通じる。孫文の評価は、人民主体の歴史観と反帝国主義的姿勢を結びつけた普遍的な警告といえる。
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