「数十年にわたる無駄な努力にもかかわらず、国家を救おうとする私の壮大な志は少しもくじけていない。私は遅れて生まれ、古代中国の堯や舜といった聖帝の黄金の治世を見ることはできなかった。その代わりに、我が心はタタール奴隷による残酷な搾取の下で苦しむ中国人民を思って悲しみに満ちている。」

- 1866年11月12日~1925年3月12日(58歳没)
- 中国(清国)出身
- 革命家、政治家、中華民国臨時大総統
英文
”Decades of futile effort have not dampened my bold aspirations to save the nation. Born in a late age, I have not been able to witness the golden rule of Yao and Shun and other sage emperors of ancient China. Instead, my heart grieves at the suffering of the Chinese people under the cruel exploitation of the Tartar Slaves.”
日本語訳
「数十年にわたる無駄な努力にもかかわらず、国家を救おうとする私の壮大な志は少しもくじけていない。私は遅れて生まれ、古代中国の堯や舜といった聖帝の黄金の治世を見ることはできなかった。その代わりに、我が心はタタール奴隷による残酷な搾取の下で苦しむ中国人民を思って悲しみに満ちている。」
解説
この言葉は、孫文が自らの革命的使命感と歴史意識を語ったものである。彼は清朝支配を「タタール奴隷」、すなわち異民族による専制支配と位置づけ、中国人民の苦難を強調した。そのうえで、自身の志は幾度の失敗にも揺らがないと述べ、民族独立と国家再生への執念を示している。
引用に登場する堯や舜といった聖帝は、古代中国における理想的統治の象徴である。孫文は自らをその時代の再来に立ち会えなかった者として位置づけ、代わりに専制と搾取の現実を直視し、革命を起こすことで理想の治世を実現しようとした。ここには、過去の理想と現在の悲劇を対比させる修辞が見られる。
現代の視点からは、この言葉は志の持続と歴史観の重要性を伝えている。政治的理想は一度の挫折で実現するものではなく、長期にわたる努力と犠牲を要する。孫文の表現は強い民族主義的色彩を帯びるが、同時に失敗に屈せず理想を追求し続ける姿勢が、多くの人々に普遍的な励ましを与えるものとなっている。
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