「香港から逃れて神戸に至ったとき、私は重大な決断を下した。生涯伸ばしていた辮髪を切り落としたのである」

- 1866年11月12日~1925年3月12日(58歳没)
- 中国(清国)出身
- 革命家、政治家、中華民国臨時大総統
英文
”At Kobe, whither I fled from Hong Kong, I took a step of great importance. I cut off my cue, which had been growing all my life.”
日本語訳
「香港から逃れて神戸に至ったとき、私は重大な決断を下した。生涯伸ばしていた辮髪を切り落としたのである」
解説
この言葉は、孫文が象徴的な形で清朝との決別を示した行動を述懐したものである。「辮髪(べんぱつ)」とは、清朝支配下の漢民族に強制された髪型であり、それは服従と支配の象徴であった。これを断ち切るという行為は、単なる外見の変更ではなく、封建体制と決別し、革命の道に踏み出す意思表示であった。
孫文がこの行動をとった神戸という地は、彼にとって亡命先でありながら精神的転機の場でもあった。追われる立場にありながらも、ここで体制への妥協を捨て、思想と行動の一体化を示す決断をしたことは、後の革命指導者としての覚悟の証である。
現代においても、象徴的行為が個人や社会に与える影響の大きさは変わらない。たとえば、女性のヒジャブ着用を拒否する行動や、人種的差別への抗議としての膝つきなどが、それぞれの文脈で大きな意味を持つ。孫文の辮髪断髪は、思想的転換と政治的覚悟が可視化された瞬間として、後世にも語り継がれるべきものである。
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