「もし私が神を客観的に把握できるのなら、私は信じてはいない。しかしまさにそれができないからこそ、私は信じなければならないのだ」

- 1813年5月5日~1855年11月11日
- デンマーク出身
- 哲学者、神学者、作家
- 実存主義哲学の先駆者として知られ、「主体的真理」や「信仰の飛躍」といった概念を提唱。個人の内面的な葛藤と信仰の問題を深く掘り下げ、近代思想に大きな影響を与えた。
英文
“If I am capable of grasping God objectively, I do not believe, but precisely because I cannot do this I must believe.”
日本語訳
「もし私が神を客観的に把握できるのなら、私は信じてはいない。しかしまさにそれができないからこそ、私は信じなければならないのだ」
解説
この言葉は、信仰と理性の関係における逆説的真理を語っている。キェルケゴールにとって、神を「客観的に」理解できるというのは、神が知識や証明によって手に入る存在であることを意味する。しかしそれは、信仰ではなく知識の領域に過ぎず、信じるという行為の本質を失わせることになる。
彼の思想の核心にあるのは、「信仰の飛躍(leap of faith)」という概念である。人間は神の存在を完全に証明したり把握したりすることはできないが、その認識の限界を自覚したときにこそ、信仰の本質が現れる。つまり、「分からないからこそ信じる」「証明できないからこそ賭ける」という、理性を超えた主体的選択が信仰には求められるのである。
現代においても、宗教や信仰はしばしば論理や証明の観点で論じられるが、この名言は、信仰が理性による確証ではなく、理性を越えて信じる勇気と関係していることを思い起こさせる。神を証明できるなら信じる必要はない。信仰とは「知らないという不安」に耐えながら、自らの実存を懸ける行為なのである。
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