「私はただ、普通の人々が無限の害を成す力を持っているならば、同じように無限の善を行う力も持っているかもしれないと願う」
- 紀元前470年頃~紀元前399年
- 古代ギリシャのアテナイ(アテネ)出身
- 哲学者
- プラトンの師であり、倫理学と弁証法(問答法)の発展に貢献した
英文
“I only wish that ordinary people had an unlimited capacity for doing harm; then they might have an unlimited power for doing good.”
日本語訳
「私はただ、普通の人々が無限の害を成す力を持っているならば、同じように無限の善を行う力も持っているかもしれないと願う」
解説
この名言は、ソクラテスが人間の力とその両義性についての興味深い考えを述べたものだ。彼は、もし人々が無限に害を及ぼす力を持っているなら、同時に無限に善を行う力も持つことができるのではないか、と仮定している。この言葉には、人間の潜在的な能力が善と悪のどちらにも向けられる可能性があることを示す洞察が込められている。つまり、人間の持つ力は中立的であり、それをどう使うかによって結果が変わるということだ。
この名言は、人間の倫理的な選択と責任を強調している。ソクラテスは、人間が強大な力を持つことができるなら、それをどう使うかが極めて重要であると考えた。もし人がその力を害に使うなら、大きな破壊をもたらすが、逆に善に使うならば、素晴らしいことを成し遂げられる。現代社会においても、科学技術や政治的影響力といった強力な手段は、善と悪の両方に使われる可能性がある。そのため、倫理的な責任が求められ、力を持つ者はそれを慎重かつ賢明に行使する必要がある。
また、この名言は、人間の本質的な二面性についても考察させる。人は善を行うことも悪を行うこともできる存在であり、潜在的な能力がどちらの方向に向かうかは、その人の価値観や選択にかかっている。たとえば、権力や影響力を持つ人が、それを自己利益のために使うこともあれば、社会のために使うこともある。人間の本当の力は、善悪の選択をする自由と、その選択の結果に責任を持つことにある。
この言葉はまた、人間の成長と道徳的な発展に対する希望を含んでいる。ソクラテスは、人がより大きな力を持つことができれば、その力を善に使う可能性があることを信じている。人間の道徳的な成長と善意は、教育や哲学的思索を通じて培われるものであり、より大きな力を手にすることで、他者を助け、社会を良くすることができるかもしれない。この視点は、社会が個人を啓発し、善を行う力を育むための教育の重要性を示唆している。
結局のところ、ソクラテスのこの言葉は、人間の力の使い方に関する深い倫理的な問いを提起している。もし私たちが無限の力を持つとしたら、それをどう使うべきか? そして、その力を善に使うために何が必要か? ソクラテスは、力が善と悪のどちらに向かうかは、私たちの選択次第であると指摘し、慎重に力を行使する責任を説いている。この教えは、私たちが持つ影響力を善のために使い、より良い世界を築くための指針として今も生き続けている。
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