「説教をする僧は顔がよいほうがよい。講師の顔をじっと見つめていると、その説いている内容までもがありがたく感じられる」

- 966年頃~1025年頃(諸説あり)
- 日本出身
- 作家、随筆家
原文
「説教の講師はかほよき。講師の顔をつとまもらへたるこそ、その説くことの尊とさもおぼゆれ」
現代語訳
「説教をする僧は顔がよいほうがよい。講師の顔をじっと見つめていると、その説いている内容までもがありがたく感じられる」
解説
この一節は『枕草子』の中でも、人間の感覚と印象の影響力を率直に語ったものである。清少納言は、説教を行う講師(僧侶)は顔立ちがよいほうがふさわしく、顔をじっと見つめていると、話の内容まで尊く思えてくると述べている。これは、外見が聴衆の受け取る印象に影響を与えるという、心理効果に対する直感的な洞察である。
この背景には、平安時代の美意識がある。当時、容姿の美しさは社会的評価や信頼感にも結びつく重要な要素であった。説教という宗教的行為においてすら、清少納言は「顔よき」ことを重視しており、権威や信仰の感覚さえ外見に左右されるという人間の本質的な側面を、軽妙な筆致で指摘している。
現代においても、この現象は共感できる。たとえば、ニュースキャスターや講師など、外見が整っている人の言葉がより信頼できるように感じられることがある。この一文は、視覚情報が説得力や権威性に及ぼす影響を示す普遍的な心理を千年前に描き出したものであり、人間の感覚の変わらなさを実感させる名文である。
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