「蠅はまさに憎らしいものの一つに数えるべきで、少しも愛嬌がない。人に危害を加えたり、敵とみなすほどの大きさではないが、秋などには、あらゆる物にとまり、顔などにぬれた足でとまっているのは本当にいやなものだ」

- 966年頃~1025年頃(諸説あり)
- 日本出身
- 作家、随筆家
原文
「蠅こそにくき物のうちに入れつべく、愛敬なき物はあれ。人々しう、かたきなどにすべきものの大きさにはあらねど、秋など、ただよろづの物に居、顔などに、ぬれ足してゐるなどよ」
現代語訳
「蠅はまさに憎らしいものの一つに数えるべきで、少しも愛嬌がない。人に危害を加えたり、敵とみなすほどの大きさではないが、秋などには、あらゆる物にとまり、顔などにぬれた足でとまっているのは本当にいやなものだ」
解説
この一節は『枕草子』の「にくきもの」の中でも、清少納言の細やかな観察力と生活感覚がよく表れた箇所である。蠅は害を及ぼすほどの大きな存在ではないが、顔や食べ物などにしつこくとまり、特に「ぬれ足してゐる」という生々しい描写によって、その不快感が強調されている。ここには、身近で小さな煩わしさがもたらす苛立ちを、写実的かつユーモラスに捉える清少納言の筆致が光っている。
背景として、平安時代の住環境を考えると、開放的な寝殿造や庭とのつながりがある生活では、虫の侵入を防ぐことが難しかった。蠅は衛生面での不快感だけでなく、優雅な生活を乱す存在として、貴族にとって大きな煩わしさであったと考えられる。このような現実的な苛立ちを率直に記しつつ、文学的表現に昇華している点が、『枕草子』の魅力の一つである。
現代においても、この感覚は共感を呼ぶ。夏や秋に、蠅が食卓や人の顔にまとわりつく不快さは、千年前と変わらない。この一文は、人間が自然や小動物とどう折り合いをつけるかという問題と、些細なことに対する敏感な感受性を示すものであり、平安時代から現代まで連綿と続く生活感覚を感じさせる名句である。
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