「気持ちよさそうなもの……池の蓮が、通り雨に打たれている様子」

- 966年頃~1025年頃(諸説あり)
- 日本出身
- 作家、随筆家
原文
「心地よげなるもの・・・・・・池の蓮、村雨にあひたる」
現代語訳
「気持ちよさそうなもの……池の蓮が、通り雨に打たれている様子」
解説
この一節は『枕草子』の「心地よげなるもの」の段に見られる表現であり、自然の風景に重ねられた感覚的な心地よさを繊細にとらえた描写である。清少納言は、池に浮かぶ蓮が、そっと降る村雨(通り雨)に打たれている様子に、心地よい印象を感じ取っている。ここでは視覚や聴覚を通じて得られる涼やかさや清らかさが、心に安らぎを与えるものとして描かれている。
村雨とは、短時間だけ降る柔らかな雨を意味し、激しさではなく一時の情緒や移ろいを表す言葉である。その村雨に打たれる蓮の姿には、風や水の気配、自然の一体感が漂っており、清少納言の持つ感性の鋭さと自然への親しみがよく表れている。平安時代の貴族たちは、こうした自然の微細な変化に心を寄せることを風雅とし、感受性の高さを重んじた。
現代においても、雨に濡れる植物の様子を美しいと感じたり、そこに静けさや癒しを見出す感覚は多くの人が持っている。この一文は、自然の移ろいの中に心地よさや美を感じる力の大切さを教えており、日常の中で静かに流れる時間を味わう感性を私たちに思い出させてくれるのである。
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