「何気ない言葉であって、強く心に訴えかけるものではなくても、気の毒なことを『お気の毒に』とか、しみじみとしたことを『本当にどれほど思っているのだろう』などと言ったと伝え聞くのは、直接向かい合って言われるよりもうれしい」

- 966年頃~1025年頃(諸説あり)
- 日本出身
- 作家、随筆家
原文
「なげの言葉なれど、せちに心に深く入らねど、いとほしきことをば『いとほし』とも、あはれなるをば『げにいかに思ふらん』など言ひけるを伝へて聞きたるは、さし向ひて言ふよりもうれし」
現代語訳
「何気ない言葉であって、強く心に訴えかけるものではなくても、気の毒なことを『お気の毒に』とか、しみじみとしたことを『本当にどれほど思っているのだろう』などと言ったと伝え聞くのは、直接向かい合って言われるよりもうれしい」
解説
この一節は『枕草子』において、人の言葉の力と、間接的な伝達による感情の高まりを描いたものである。清少納言は、特別強い表現でなくても、自分を思いやる言葉を人づてに聞くことが、直接言われるよりもうれしいと述べている。この心理は、第三者を介することで言葉の信頼性が増し、相手の気持ちの本気度が強調されるという人間心理の繊細な一面をとらえている。
背景には、平安時代の宮廷社会のコミュニケーション文化がある。当時、恋愛や人間関係において、直接やりとりするよりも、人を介して言葉を伝えることが多く、それが相手の感情を探る重要な手段となっていた。間接的な伝聞は、直接の対面よりも相手の本心を感じさせ、より心を動かす効果を持っていたのである。
現代においても、この感覚は共感できる。SNSや会話で、本人から直接言われるよりも、第三者から「○○があなたを評価していたよ」と聞くことが、かえって心に響くことがある。この一文は、人間の感情がどのように言葉に反応し、信頼や喜びを感じるのかという普遍的な心理を鮮やかに描き出しており、千年を超えても変わらぬ真理を伝えているのである。
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