「私が若い頃、ディラックは私の英雄だった。彼は突破口を開き、物理学における新しい方法を生み出した。彼は方程式の形を単純に推測し、それを解釈しようとする勇気を持っていた。その方程式は現在ディラック方程式と呼ばれている」

- 1918年5月11日~1988年2月15日(69歳没)
- アメリカ合衆国出身
- 理論物理学者
英文
”When I was a young man, Dirac was my hero. He made a breakthrough, a new method of doing physics. He had the courage to simply guess at the form of an equation, the equation we now call the Dirac equation, and to try to interpret it afterwards.”
日本語訳
「私が若い頃、ディラックは私の英雄だった。彼は突破口を開き、物理学における新しい方法を生み出した。彼は方程式の形を単純に推測し、それを解釈しようとする勇気を持っていた。その方程式は現在ディラック方程式と呼ばれている」
解説
この言葉は、理論物理学における直観と大胆さの価値を示している。ファインマンは若き日にポール・ディラックの業績に強い影響を受けた。ディラックは1928年に、量子力学と相対性理論を統合する形で電子の振る舞いを記述するディラック方程式を導き出したが、その導出は観察よりもまず数式の美しさや対称性に基づく大胆な推測から始まっていた。
この背景には、20世紀初頭の物理学界で量子力学と相対性理論という二つの柱を統一する必要があったという事情がある。ディラックのアプローチは、理論物理学者が「自然界の法則は美しい形を持つはずだ」という信念に基づき、方程式を先に提案してからその意味を探るという新しい方法を示した。ファインマンはその精神に強く共感し、自らの物理学的アプローチにも生かした。
現代においても、この言葉は研究や創造の場での指針となる。既存のデータや常識に縛られるだけでなく、大胆な仮説を立て、それを検証する勇気が革新につながる。ディラックに憧れたファインマンの姿勢は、科学のみならず芸術や技術開発の分野でも通用する普遍的な示唆を含んでいるのである。
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