「いま我々の前にある哲学的な問いは、過去の軌跡を自ら観測したとき、その観測結果は、もし外部の観測者が観測した場合に最終状態が定義されるのと同じ意味で、現実のものとなるのかということである」

リチャード・P・ファインマン(画像はイメージです)
リチャード・P・ファインマン(画像はイメージです)
  • 1918年5月11日~1988年2月15日(69歳没)
  • アメリカ合衆国出身
  • 理論物理学者

英文

“The philosophical question before us is, when we make an observation of our track in the past, does the result of our observation become real in the same sense that the final state would be defined if an outside observer were to make the observation?”

日本語訳

「いま我々の前にある哲学的な問いは、過去の軌跡を自ら観測したとき、その観測結果は、もし外部の観測者が観測した場合に最終状態が定義されるのと同じ意味で、現実のものとなるのかということである」

解説

この名言は、量子力学と観測行為の哲学的含意についての根源的な問いを提示している。特にここで焦点となっているのは、「観測された過去」と「観測していない過去」の現実性の違いである。ファインマンは、観測によって物理的状態が定まるという量子力学の特性において、観測者自身が自分の過去を観測する場合の現実性のあり方を問題にしている。

この問いは、コペンハーゲン解釈や多世界解釈など、量子力学における解釈問題と深く関係している。特に「外部の観測者」という概念は、客観性や第三者性を象徴しており、それに対して「自分自身が観測する場合」の主観的現実と、どこまで一致するかが問われている。これは物理学の枠を超え、意識や存在論の問題にもつながる哲学的射程を持つ。

現代の情報理論や量子コンピュータ、さらには人工知能と人間の知覚の関係を考える上でも、この問いは重要である。観測とは何か、記録とは何か、そして「過去」はどこまで確定的であるべきかという問題は、科学と哲学の交差点でいまなお答えを待っている。

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