「ドイツが脅威であったというのが、この計画を始めた当初の理由であり、それが私を行動へと駆り立てた。つまり、最初はプリンストンで、その後はロスアラモスで、この最初のシステムを開発し、爆弾を作動させようとしたのである」

リチャード・P・ファインマン(画像はイメージです)
リチャード・P・ファインマン(画像はイメージです)
  • 1918年5月11日~1988年2月15日(69歳没)
  • アメリカ合衆国出身
  • 理論物理学者

英文

”The original reason to start the project, which was that the Germans were a danger, started me off on a process of action, which was to try to develop this first system at Princeton and then at Los Alamos, to try to make the bomb work.”

日本語訳

「ドイツが脅威であったというのが、この計画を始めた当初の理由であり、それが私を行動へと駆り立てた。つまり、最初はプリンストンで、その後はロスアラモスで、この最初のシステムを開発し、爆弾を作動させようとしたのである」

解説

この言葉は、ファインマンがマンハッタン計画に参加した動機と経緯を説明している。当時、第二次世界大戦の最中において、ナチス・ドイツが核兵器を開発する可能性が大きな脅威とみなされていた。そのため科学者たちは、先手を打つ形で原子爆弾の開発に取り組むことを余儀なくされたのである。

ファインマン自身は純粋科学を愛した研究者であったが、国家的危機という状況が科学者を兵器開発に動員する力となった。プリンストンでの初期研究からロスアラモスでの本格的な開発へと進んだ過程は、科学が軍事と結びつく典型例である。

現代においても、この言葉は科学者の社会的責任を考える上で示唆に富む。新しい技術が安全保障や倫理の問題に直結する場面は今も少なくなく、科学の成果がどのように使われるかを判断するのは、科学者自身だけでなく社会全体の課題であることを思い起こさせる。

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