「科学的な見解は畏敬と神秘のうちに行き着き、不確実性の淵で途切れる。しかしそれらはあまりに深遠で感銘を与えるものであるため、すべてが神が人間の善悪の闘いを観察する舞台として用意されたという理論は不十分に思える」

- 1918年5月11日~1988年2月15日(69歳没)
- アメリカ合衆国出身
- 理論物理学者
英文
”Scientific views end in awe and mystery, lost at the edge in uncertainty, but they appear to be so deep and so impressive that the theory that it is all arranged as a stage for God to watch man’s struggle for good and evil seems inadequate.”
日本語訳
「科学的な見解は畏敬と神秘のうちに行き着き、不確実性の淵で途切れる。しかしそれらはあまりに深遠で感銘を与えるものであるため、すべてが神が人間の善悪の闘いを観察する舞台として用意されたという理論は不十分に思える」
解説
この言葉は、科学的世界観と宗教的世界観の対比を述べている。科学は不確実性と神秘に満ちているが、その奥行きは極めて深く、人間に強い感銘を与える。一方で、世界を単に「神が人間の善悪を観察する舞台」とする考えは、科学の示す壮大さと複雑さに比べて単純すぎるとファインマンは感じている。
ファインマンは無神論的な立場をとり、科学が示す驚異そのものが人間にとって十分に畏敬の対象となりうると考えていた。宗教が与える説明に頼らずとも、科学的探究によって得られる神秘と不確実性は、それ自体として人間の精神を揺さぶるものである。
現代においても、宇宙論や量子論が描き出す世界像は、人間の想像力を超えるほど壮大で複雑である。ファインマンの言葉は、科学的理解が宗教的説明を超える精神的価値を持ちうることを示しており、知の探究がもたらす畏敬の念を強調している。
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