「礼拝とは、自らの偶像、それも最も隠れた偶像をも取り去り、主を中心として、人生の大路として選ぶことである」

- 1936年12月17日~2025年4月21日(88歳没)
- アルゼンチン出身
- カトリック教会第266代ローマ教皇
英文
“Worshipping is stripping ourselves of our idols, even the most hidden ones, and choosing the Lord as the centre, as the highway of our lives.”
日本語訳
「礼拝とは、自らの偶像、それも最も隠れた偶像をも取り去り、主を中心として、人生の大路として選ぶことである」
解説
この言葉は、真の礼拝の本質を偶像からの解放と主への集中に見出している。偶像とは、単に宗教的な像や神々を指すのではなく、名誉や富、権力、自己愛といった、人間の心を支配するものすべてを意味する。礼拝とはそれらを退け、人生の中心に神を据えることによって初めて成立する行為であると示されている。
背景として、聖書の伝統においても偶像崇拝は最大の罪の一つとされてきた。教皇は現代社会における偶像を「隠れたもの」として捉え、信仰者が気づかぬうちに心を奪われている対象を問題視している。したがってこの言葉は、自己点検と内面的な浄化の必要性を強く訴えている。
この名言は、宗教を超えて普遍的な示唆を与える。人間は無意識のうちに、仕事や地位、欲望などを「偶像」として人生の中心に置いてしまうことがある。しかし、それらは不安定で人を裏切るものである。真に人生を導くものを選ぶことこそ、平和と自由を得る道である。この言葉は、人間が生き方を見直し、何を中心に据えるべきかを考えさせる鋭い問いかけである。
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