「イエズス会士は教皇に従う誓願を立てる。しかし教皇がイエズス会士であるなら、もしかすると教皇は総長に従う誓願を立てるべきかもしれない…私は自分の霊性において、心の中において、今もイエズス会士であると感じている」

- 1936年12月17日~2025年4月21日(88歳没)
- アルゼンチン出身
- カトリック教会第266代ローマ教皇
英文
“The Jesuits have a vow to obey the pope, but if the pope is a Jesuit, maybe he should have a vow to obey the superior general… I feel like I’m still a Jesuit in terms of my spirituality, what I have in my heart.”
日本語訳
「イエズス会士は教皇に従う誓願を立てる。しかし教皇がイエズス会士であるなら、もしかすると教皇は総長に従う誓願を立てるべきかもしれない…私は自分の霊性において、心の中において、今もイエズス会士であると感じている」
解説
この言葉は、フランシスコがイエズス会士としての自覚と霊性を強く保持していることを示している。教皇という立場にありながらも、自らの霊的アイデンティティをイエズス会に根ざしていると語っており、ユーモアを交えつつも謙遜と忠誠心を表現している。
歴史的に、イエズス会は教皇への特別な従順を誓うことで知られている。しかしフランシスコ自身がイエズス会士であり、かつ教皇であることは前例がなく、その状況を彼は軽妙に指摘している。同時に、彼の霊性や統治のスタイルがイエズス会の伝統(識別・宣教・共同体)に根差していることを明らかにしている。
現代社会においても、この言葉は重要な意味を持つ。権威的な立場にあっても、自分の出自や精神的基盤を忘れずに生きる姿勢は、多くの人に一貫性と誠実さを感じさせる。フランシスコの発言は、彼の教皇職が単なる地位ではなく、イエズス会士としての霊的使命の延長であることを示しているのである。
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