「信仰を持たない者にとっても、良心に背くとき罪は存在する。良心に耳を傾け、それに従うことは、善か悪かと感じられるものに直面して決断することを意味する。そしてこの決断によって、行為の善悪が定まる」

教皇フランシスコ(画像はイメージです)
教皇フランシスコ(画像はイメージです)
  • 1936年12月17日~2025年4月21日(88歳没)
  • アルゼンチン出身
  • カトリック教会第266代ローマ教皇

英文

“Sin, also for those who don’t have faith, exists when one goes against one’s conscience. To listen to and obey it means, in fact, to decide in face of what is perceived as good or evil. And on this decision pivots the goodness or malice of our action.”

日本語訳

「信仰を持たない者にとっても、良心に背くとき罪は存在する。良心に耳を傾け、それに従うことは、善か悪かと感じられるものに直面して決断することを意味する。そしてこの決断によって、行為の善悪が定まる」

解説

この言葉は、良心が人間の行為の基準となるという普遍的な道徳観を示している。信仰を持つか否かにかかわらず、人間には内面に「善悪を識別しようとする声」が存在するという前提に立っている。したがって、罪とは単に宗教的な戒律を破ることではなく、自らの良心に背いて行為することとして理解される。

背景として、現代社会では信仰を持つ人と持たない人が共存しており、宗教的規範だけで人間の行動を律することは難しい状況にある。そこで教皇は、良心という普遍的な基盤を重視し、信仰の有無を超えて倫理を共有できる可能性を提示している。これは宗教と世俗の対話を開くための重要な視点でもある。

この名言は日常生活にも応用できる。例えば職場や社会における不正、家庭内での小さな選択に至るまで、良心の声に従うかどうかが行動の価値を決定する。たとえ外からは見えなくても、自分の中で「これは正しくない」と感じながら行動すれば、それは罪となる。逆に、良心に従う決断は、信仰の有無を問わず、人間としての誠実さを保つ道であるといえる。

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