「教会の社会教説によれば、政治は最も高貴な愛の形の一つである。なぜならそれは共通善に仕えるからだ。私は手を洗って知らぬ顔をすることはできない。私たちは皆、何かを捧げなければならないのだ」

教皇フランシスコ(画像はイメージです)
教皇フランシスコ(画像はイメージです)
  • 1936年12月17日~2025年4月21日(88歳没)
  • アルゼンチン出身
  • カトリック教会第266代ローマ教皇

英文

“Politics, according to the Social Doctrine of the Church, is one of the highest forms of charity, because it serves the common good. I cannot wash my hands, eh? We all have to give something!”

日本語訳

「教会の社会教説によれば、政治は最も高貴な愛の形の一つである。なぜならそれは共通善に仕えるからだ。私は手を洗って知らぬ顔をすることはできない。私たちは皆、何かを捧げなければならないのだ」

解説

この言葉は、政治を共通善への奉仕と捉える視点を示している。政治はしばしば権力闘争や利権の追求と結びつけられて否定的に見られるが、教皇はその本質を「愛の実践」と位置づけている。つまり、社会全体の幸福に仕えることこそが、政治の最も崇高な使命であるという理解である。

背景には、カトリック教会の社会教説がある。社会教説は、正義と平和、連帯と共通善を強調し、その実現のために政治的責任を果たすことを求めている。教皇は「私は手を洗えない」と述べ、無関心や傍観を戒めている。政治は一部の人だけの仕事ではなく、すべての人がそれぞれの形で関わるべきものだと訴えている。

この名言は、現代社会における市民の責任を思い起こさせる。投票、社会参加、地域での奉仕活動など、小さな関わりでも共通善に貢献することができる。もし誰もが責任を放棄すれば、社会は不正や不平等に支配されるだろう。教皇の言葉は、政治を嫌うのではなく、共通善への愛として積極的に関わる勇気を求めている。

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