「聖体の犠牲の現実は常にカトリック信仰の中心にあった。16世紀に疑問が投げかけられたが、キリストにおける私たちの義認を背景に、トリエント公会議において荘厳に再確認された」

教皇ベネディクト16世(画像はイメージです)
教皇ベネディクト16世(画像はイメージです)
  • 1927年4月16日~2022年12月31日(95歳没)
  • ドイツ出身
  • ローマ教皇(在位2005年~2013年)、神学者、枢機卿

英文

”The reality of the Eucharistic sacrifice has always been at the heart of Catholic faith; called into question in the 16th century, it was solemnly reaffirmed at the Council of Trent against the backdrop of our justification in Christ.”

日本語訳

「聖体の犠牲の現実は常にカトリック信仰の中心にあった。16世紀に疑問が投げかけられたが、キリストにおける私たちの義認を背景に、トリエント公会議において荘厳に再確認された」

解説

この言葉は、聖体の犠牲がカトリック信仰の核心であることを歴史的文脈と共に強調している。聖体は単なる象徴ではなく、キリストの十字架の犠牲が秘跡的に現存するものと理解される。16世紀の宗教改革において、この理解は大きく揺さぶられ、プロテスタントの多くが「犠牲としての聖体」を否定した。

そのため、カトリック教会はトリエント公会議(1545–1563)で聖体の犠牲性を明確に再確認し、義認の教えと結びつけて信仰の根幹を守った。ここで強調されたのは、人間の義は自らの行為によらず、キリストの犠牲に基づくという理解であり、その犠牲が聖体の秘跡の中で信者に現存し続けるという点であった。

現代的意義として、この言葉は聖体の理解が単なる伝統的儀式ではなく、信仰の中心的告白であることを思い起こさせる。ミサにおいて聖体を受けることは、キリストの犠牲に参与することであり、それが信者の義と救いに直結する。ベネディクト16世の言葉は、歴史的に論争の的となった聖体理解を、今もなおカトリック信仰の核心として守り続ける重要性を説いているのである。

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