「キリストの体と血の聖体の犠牲は、あらゆる時代における教会という神秘の体の成員の中において、主の受難が続いているという神秘を抱きしめている」

- 1927年4月16日~2022年12月31日(95歳没)
- ドイツ出身
- ローマ教皇(在位2005年~2013年)、神学者、枢機卿
英文
”The Eucharistic sacrifice of the body and blood of Christ embraces in turn the mystery of our Lord’s continuing passion in the members of his mystical body, the church in every age.”
日本語訳
「キリストの体と血の聖体の犠牲は、あらゆる時代における教会という神秘の体の成員の中において、主の受難が続いているという神秘を抱きしめている」
解説
この言葉は、聖体の秘跡と教会の関係を深く神学的に説明したものである。聖体はキリストの体と血の現存を示すものであり、その犠牲は一回的な歴史的出来事にとどまらず、教会の歩みの中で常に現在化されていると理解される。すなわち、キリストの受難は聖体を通して信者の共同体において生き続けるという思想が込められている。
また、「the members of his mystical body」という表現は、教会共同体そのものがキリストの体に連なっているというパウロ的神学を反映している。信者は単に個別的に救われる存在ではなく、教会を通してキリストの受難と復活に参与する存在である。聖体祭儀において、キリストの犠牲と教会の歩みが一体化していることが強調されている。
現代的な応用としては、この言葉は苦しむ人々や迫害を受ける共同体におけるキリストの現存を考える手がかりとなる。社会的不正や暴力に直面する教会や信者の苦難もまた、主の受難の延長として理解され得る。聖体の秘跡は単なる礼拝儀式ではなく、歴史を通して続く神秘的な一致と連帯の現れであり、そこに信仰の深い意味が見いだされるのである。
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