「一方で、信仰とは神との極めて個人的な交わりであり、私の最も内奥に触れ、生ける神の前に絶対的な直接性をもって私を置き、神と語り、神を愛し、神と交わりに入ることを可能にするものである」

- 1927年4月16日~2022年12月31日(95歳没)
- ドイツ出身
- ローマ教皇(在位2005年~2013年)、神学者、枢機卿
英文
”On the one hand, faith is a profoundly personal contact with God, which touches me in my innermost being and places me in front of the living God in absolute immediacy in such a way that I can speak with Him, love Him, and enter into communion with Him.”
日本語訳
「一方で、信仰とは神との極めて個人的な交わりであり、私の最も内奥に触れ、生ける神の前に絶対的な直接性をもって私を置き、神と語り、神を愛し、神と交わりに入ることを可能にするものである」
解説
この言葉は、信仰の本質が個人的で直接的な神との関係にあることを示している。信仰は単なる思想や制度にとどまらず、内面の深層で神と触れ合う体験として描かれている。この直接性は、人間と神の間に媒介物を必要とせず、心から語り、愛し、交わるという生きた関係を強調するものである。
また、この理解はキリスト教における人格的な神の概念に基づいている。神は遠く離れた存在ではなく、信じる者が祈りや愛をもって向き合える生ける存在である。ここには、信仰が単なる教義の受け入れではなく、生涯を通じた神との対話であるという視点が示されている。
現代社会では、宗教はしばしば制度や文化的枠組みとして捉えられる。しかしこの名言は、信仰の核心が個々人の心の奥における神との出会いにあることを強調する。例えば祈りや瞑想の実践は、個人が神と直接に向き合い、精神的支えと希望を得る具体的な方法となる。この観点は、信仰を個人的でありながら普遍的な体験として理解する手掛かりとなる。
感想はコメント欄へ
この名言に触れて、あなたの感想や名言に関する話などを是非コメント欄に書いてみませんか?