「確かに、ガチョウに可能な限り大きな肝臓を作らせるように強制的に餌を与えたり、ニワトリを詰め込み過ぎて鳥の姿の戯画と化させたりするような、被造物を工業的に利用するやり方は、生き物を商品に貶めるものであり、聖書に見られる相互性の関係に実際には反しているように思われる」

- 1927年4月16日~2022年12月31日(95歳没)
- ドイツ出身
- ローマ教皇(在位2005年~2013年)、神学者、枢機卿
英文
”Certainly a sort of industrial use of creatures, so that geese are fed in such a way as to produce as large a liver as possible, or hens live so packed together that they become just caricatures of birds, this degrading of living creatures to a commodity seems to me in fact to contradict the relationship of mutuality that comes across in the Bible.”
日本語訳
「確かに、ガチョウに可能な限り大きな肝臓を作らせるように強制的に餌を与えたり、ニワトリを詰め込み過ぎて鳥の姿の戯画と化させたりするような、被造物を工業的に利用するやり方は、生き物を商品に貶めるものであり、聖書に見られる相互性の関係に実際には反しているように思われる」
解説
この言葉は、産業化された動物利用への倫理的批判を表している。自然界の生き物を単なる資源や商品として扱い、その本来の尊厳を失わせる行為は、聖書が示す「神と被造物、人と自然の調和的な関係」に背くものとされている。ここで強調されているのは、被造物には神との関係に基づく固有の価値があるという視点である。
歴史的に、カトリック思想は人間中心的であると同時に、自然界の管理責任を強調してきた。ベネディクト16世は、被造物を単に人間の欲望に従属させるのではなく、相互性と責任の関係の中で理解すべきだと説く。この考え方は、創世記における「支配」と「世話」の両義性を踏まえたものである。
現代においても、この指摘は動物福祉や環境倫理の観点から重要である。集約畜産や過度な工業化による生態系破壊は、人間自身の生活基盤を脅かす問題ともなる。この名言は、私たちが自然と生き物に対して持つべき態度を再考させ、利益追求ではなく共生の倫理を選び取るよう促している。
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