「私たちは皆、偉大な日や大いなる戦いや力ある行為を待ち望んで生きている。しかしその外的な成就は多くの人に与えられるものではなく、また必ずしも必要ではない。私たちの存在がすべてのものの霊に向かって情熱をもって緊張し、定められているなら、その霊は私たち自身の隠れた、名もなき努力から現れるのである。」

- 1881年5月1日~1955年4月10日(73歳没)
- フランス出身
- イエズス会士、神学者、古生物学者、哲学者
英文
“We spend our lives, all of us, waiting for the great day, the great battle, or the deed of power. But that external consummation is not given to many: nor is it necessary. So long as our being is tensed, directed with passion, towards that which is the spirit of all things, then that spirit will emerge from our own hidden, nameless effort.”
日本語訳
「私たちは皆、偉大な日や大いなる戦いや力ある行為を待ち望んで生きている。しかしその外的な成就は多くの人に与えられるものではなく、また必ずしも必要ではない。私たちの存在がすべてのものの霊に向かって情熱をもって緊張し、定められているなら、その霊は私たち自身の隠れた、名もなき努力から現れるのである。」
解説
この言葉は、人生の真の意味や成就が外的な大事件ではなく、内面的な方向性と努力にあることを示している。人はしばしば「偉大な瞬間」を夢見て日々を過ごすが、現実にはそのような機会を与えられる者は少ない。
テイヤール・ド・シャルダンは、人生を「霊的進化」の文脈で捉えていた。彼にとって重要なのは、目に見える成果や歴史的偉業ではなく、全存在を宇宙的霊に向けて傾注する姿勢である。この内的緊張と方向づけこそが、個々人の隠れた努力を通して「霊」を現実の中に顕現させる。
現代においても、名もなき人々の努力が社会や文化を形作っていることは多い。家庭での献身的な支え、地域での小さな奉仕、研究や芸術での地道な積み重ねなどは、歴史に記録されることは少なくとも、人類全体の成長や精神の深化に寄与している。つまり、真の偉大さは内的な情熱と方向性の持続にあり、そこから霊的な実りが生まれるのである。
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