「私たちはしばしば、神が無から悲しみも過ちも危険もない世界――損傷も破綻も存在しない世界――を創り出すことができると心に描く。しかしこれは観念的な幻想であり、悪の問題を解くことを不可能にしている」

- 1881年5月1日~1955年4月10日(73歳没)
- フランス出身
- イエズス会士、神学者、古生物学者、哲学者
英文
“We often represent God to ourselves as being able to draw from non-being a world without sorrows, faults, dangers – a world in which there is no damage, no breakage. This is a conceptual fantasy and makes it impossible to solve the problem of evil.”
日本語訳
「私たちはしばしば、神が無から悲しみも過ちも危険もない世界――損傷も破綻も存在しない世界――を創り出すことができると心に描く。しかしこれは観念的な幻想であり、悪の問題を解くことを不可能にしている」
解説
この言葉は、悪の存在をどう理解するかという神学的課題に関する洞察である。人間はしばしば「神が全能であるならば、なぜ悪や苦しみを許すのか」と問うが、シャルダンは「苦しみや不完全さのない世界」という発想そのものを幻想と批判している。世界が進化し、生成し続ける現実を前提にすれば、損傷や危険は避けられない要素なのである。
背景として、この思考はキリスト教神学における「神義論(theodicy)」の伝統に位置づけられる。ルネサンス以降、多くの思想家が「悪の存在と全能の神の両立」をめぐって議論してきたが、シャルダンは進化論的視点からこの問題に切り込んだ。彼にとって、悪や苦しみもまた進化の中で克服されるべき現実の一部であり、それを無視した「完全世界」の想像は現実逃避でしかない。
現代的に考えると、この言葉は自然災害、疾病、社会的不正義といった現実の苦しみをどう受け止めるかという課題に通じる。もし完全無欠の世界を前提にすれば、現実との乖離から問題は解決不能になる。むしろ、不完全さや悪を含む現実を進化や成長の契機として理解することによって、人間は意味を見出し、行動する力を得る。この名言は、悪の問題に向き合うための現実的かつ希望的な視点を提示しているのである。
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